2020年11月29日

2020年11月29日主日礼拝

2020年11月28日待降節第1主日礼拝

<教会学校>
聖書:ルカ福音書1章46−55節
説教:「マリアの賛歌」高神学生
出席:幼小6, 中高0, 父母5, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  イザヤ書2章1−5節
説教:  「主を待ち望む」小友絹代牧師
讃美歌: 18、94、二編48
交読詩編:詩編24編
出席:  33名(子供2)
*本日からアドベントに入りました。クリスマス礼拝は12月20日(日)にお紺われますが、恒例の
祝会は、コロナ感染防止のためにやむを得ず中止といたします。

<説教要旨>
*アドベントは「待降節」という意味ですが、もともとは到来を意味し、それはイエス・キリストの
再臨を待ち望むことを示しています。「主よ、来てください」という聖書の言葉の」背景には、いつ
でも人間の現実の苦悩があります。
*イザヤ書2章の預言の背景にもそれがあります。現実にはとうていありえない永久平和の預言の背後
には、預言者イザヤの時代におけるユダ王国の宗教的腐敗があるのです。ユダ王国は人間に頼って神
に頼らず、神に背を向けていました。その現実の中で、終わりの日の預言がされるのです。それは、
すべての民が主に立ち帰り、地上にはもはや戦争がなくなるという預言です。この人間の力ではなし
得ない平和は、神によって遣わされたイエス・キリストが十字架で血を流し、すべての人間の罪を贖
うことによって成就するのです。このキリストの到来を私たちは待つのです。
posted by nakamuracho at 13:01| Comment(0) | 礼拝記録

2020年11月22日

2020年11月22日主日礼拝

2020年11月22日降誕前第5主日礼拝

<教会学校(収穫感謝日)>
聖書:ヨハネ福音書6章34−40節
説教:「罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の生命」久慈姉
出席:幼小5, 中高0, 父母3(教師10)
<主日礼拝(永眠者記念礼拝)>
聖書:  テサロニケの信徒への手紙一4章13−14節
讃美歌: 7, 488, 337
交読詩編:90編
説教:  「眠りについた人たち」
出席:  42名(子供2)
*本日は謝恩日献金をお捧げします。指定の献金袋をお用いください。
*本日礼拝後に、有志で小平墓地に参ります。
*今週、25日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会、28日(土)午後2時より讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*教会で生涯を終えた人たちを「既に眠りについた人たち」と表現しています。なぜ「眠りについた人たち」と表現するのでしょうか。それは、眠りは覚める時が来るからです。復活の時が来るからです。主イエスが真で復活されたように、主イエスを信じて眠りについた人たちをも神は復活させてくださるのです。
*ここに慰めがあります。しかし、大事なことは、今、私たちがこの地上をいかに生きるかということです。「眠りについた人たち」を嘆き悲しむだけであってはいけない。今、私たちが希望を持って歩むということが大事です。信じる私たちに甦りの希望が与えられています。この手紙の終わりで「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と教えられています。そのように、どんなに辛くても、悲しくても、私たちが生きることが求められています。

posted by nakamuracho at 18:31| Comment(0) | 礼拝記録

2020年11月15日

2020年11月15日

2020年11月15日降誕前第6主日礼拝

<教会学校>
聖書:マタイ16章13−20節
説教:「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」小友牧師
出席:幼小5, 中高0、父母3, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  申命記7章6−8節
讃美歌: 17、252、515
交読詩編:詩編77編
説教:  「私たちは神様のもの」小友絹代牧師
出席者: 34名(子供2)
*次週は永眠者記念礼拝です。また、謝恩献金日です。
*NHKEテレ「こころの時代」2回目は本日朝5時、土曜午後1時に放映されます。
<説教要旨>
*出エジプトの民は、途中でモーセに不平不満をこぼし、出て来たエジプトを慕った。我々も同じで
困難に遭うと、主に従うことを後悔する。モーセはそういう民を導いて、最期に語ったのが申命記。
*この申命記7章で主は民に対して「あなた」と、一人一人に向けて語り掛ける。そして、このイスラ
エルの民を「わたしの宝の民」と呼ぶ。ここに、民に対する主の情熱がある。主はイスラエルの民を
選ばれた。それは一方的であり、無条件である。主に背いてばかりで、価値がないにもかかわらず、
このイスラエルを主は選ばれた。それは、一方的な主の愛による。
*この主の愛はイエス・キリストによって明らかにされる。それは、主イエスが我々のために十字架
で血を流されたからだ。我々はいろいろなものを失っていく。健康も、確かなものをみな失っていく。
けれども失われないものがある。それは、我々が主のものとされているということ。我々に対するこの
主の愛は決して失われることがない。このことを信じて我々は歩む。
だのである、
posted by nakamuracho at 18:43| Comment(0) | 礼拝記録