2020年12月20日

2020年12月20日クリスマス礼拝

2020年12月20日待降節第4主日(クリスマス礼拝)

<教会学校>
聖書:ルカ福音書2章1−7節
説教:「主イエスのご降誕」佐々木兄
出席:幼小6, 中高1, 父母3, 教師11

<クリスマス礼拝>
聖書:  ルカ福音書2章1−20節
讃美歌: 102、111、98
交読詩編:詩編100編
説教:  「キリストの降誕」小友聡牧師
出席:  40名(子供2)、陪餐36名
*コロナ感染予防のため、クリスマス祝会は中止としました。
*教会学校作成の2021年カレンダーを200円で販売します。
*燭火礼拝は24日(木)午後6−7時です。
*讃美歌カフェは26日(土)午後2−3時です。

<説教要旨>
*羊飼いに天使が現れ、幼子が「飼い葉桶」の中に眠っている、それがあなたがたへの救いの徴だ
と告げました。羊飼いはそれを捜しにベツレヘムに向かい、「飼い葉桶」の中に眠る救い主を見い
だすのです。
*「飼い葉桶」という言葉は、ルカ福音書13章15節に出てきます。新約ではここだけです。この
「飼い葉桶」は「束縛される場所」を指します。無理やりそこに押し込められ、縛りつけられる
場所です。そこから、解放されるべきだと主イエスは語るのです。「飼い葉桶の中に眠る救い主」
を見よとは、救い主はそのような「飼い葉桶」の中に来られるということです。
*今、私たちはコロナ禍で自由を奪われ、不安に縛り付けられています。その私たちのいる場所に
救い主は来て下さる。それが聖書のメッセージです。私たちは一人ぼっちではありません。救い主
イエス・キリストは私たちにところに来て下さいます。インマヌエルの神として。主は私たちと共
におられます。
posted by nakamuracho at 15:27| Comment(0) | 礼拝記録

2020年12月13日

2020年12月13日主日礼拝

2020年12月13日待降節第3主日

<教会学校>
聖書:ルカ福音書1章57−66節
説教:「洗礼者ヨハネの誕生」関姉
出席:幼小5, 中高4, 父母3, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書11章2−15節
讃美歌: 19、97、二編112
交読詩編:詩編113編
説教:  「来るべき方は、あなたですか」小友絹代牧師
出席:  31名(子供2)
*本日礼拝後に教会学校教師会がありました。次週朝9時から教会学校のクリスマス礼拝です。
*来週はクリスマス礼拝です。聖餐式を執行します。祝会は中止です。
*20日(日)朝5時からNHK「こころの時代」が放映されます。
<説教要旨>
*洗礼者ヨハネは信仰者として立派な人物として描かれています。しかし、ここではその強さは見られず、
主イエスに対する確信も見られません。ヨハネは自分が思い描くイエスと現実のイエスが違っていたので、
躓いたのではないでしょうか。ヨハネは罪を裁くキリストを信じていました。けれども、現実のイエスは
赦しを語り、弱い者と共にいます。
*ヨハネはイエスがわからなくなったのではないでしょうか。そこで、弟子を遣わして確かめようとしたの
です。ここにヨハネの信仰の危機があります。人生の終わりの信仰の危機です。それは私たちも同じです。
主イエスはヨハネの問いには直接には答えません。事実のみを告げます。それはイザヤ書35章の預言であり、神の国の到来のありさまでした。それを受け取って、ヨハネはきっと「これでよかったのですね」と気づかされたはずです。人生の終わりに、ああ、これでよかったのだ、主イエスを信じて来てよかったのだ、とヨハネは知ったに違いありません。主イエスは、ヨハネに「その通り、あなたは幸い」と語ってくださいました。それは、私たちに対する主イエスの言葉なのです。
posted by nakamuracho at 20:42| Comment(0) | 礼拝記録

2020年12月06日

2020年12月6日主日礼拝

2020年12月6日待降節第2主日礼拝

<教会学校>
聖書:マタイ福音書1章18−25節
説教:「ヨセフへの御告げ」奥野姉
出席:幼小4, 中高1, 父母2, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  イザヤ書59章12−20節
讃美歌  8、95、501
交読詩編:20編
説教: 「あがなう者が来る」
出席:  38名(子供2)
*礼拝後に役員会
*今週9日(水)午前10時半から聖書研究祈祷会
<説教要旨>
*紀元前6世紀後半、イスラエルの捕囚の時代が終わり、希望に満ちていたはずなのに、社会は正義が失われ、すさんだ案奥の時代になっていた。正義が行われない時代を神は嘆く。この時代は現代と似ているのではないか。豊かさの中にいるにもかかわらず、幸せを感じられず、生きる意欲が失われ、自ら命を断つ人がいる今の現実は、正義が行われていないことではないか。
*預言者は、この時代に「贖う者が来る」と預言した。「贖う者」とは、負債を買い戻し、救済する人である。それは、罪の身代わりとなって十字架に架かり、私たちに救いを齎してくださった「贖う者」として来られるキリストを予告している。この生きづらい世界で、私たちを見捨てず、私たちに「生きよ」と呼びかけて下さる方がおられる。キリストは「贖う者」として私たちに来て下さる。
posted by nakamuracho at 15:02| Comment(0) | 礼拝記録