2021年01月31日

2021年1月31日主日礼拝

2021年1月31日降誕節第6主日礼拝

<教会学校>
聖書:マタイ福音書6章25−26節
説教:「われらの日用の糧をきょうも与えたまえ」土肥姉
出席:幼小3, 中高1, 父母3, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  ヨハネ福音書15章1−11節
讃美歌: 7、332、354
交読詩編:詩編23編
説教:  「まことのぶどうの木に留まる」高アンナ神学生
出席:  31名(子供1)
*本日は高アンナ神学生が説教を担当してくださいました。高神学生は3月に東神大を卒業し、
伝道師として遣わされて行く予定です。
*4月から、礼拝で使用する聖書を聖書協会共同訳に切り替える計画です。
*次週礼拝で聖餐式を執行します。
<説教要旨>
*まことのぶどうの木の譬えの背景には、イスラエルの歴史がある。神から離れたイスラエルは
実を結ばないぶどうの木を示唆している。それに対して、主イエスは「私はまことのぶどうの木」
と言われたのである。
*実を結ばない枝は取り除かれる。我々がまさにそういう存在である。けれども、主イエスは「私
につながるならば、実を結ぶ」と言われた。我々が主イエスにつながるのは難しいことではない。
我々が枝になるのではなく、我々はすでに枝とされているのである。努力せよと命じられているの
ではない。主イエスというまことのぶどうのの木に留まるのである。それは我々が主イエスの言葉
を信頼すること。主イエスに留まり、主イエスから命を与えられて生きるのである。
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2021年01月24日

2021年1月24日主日礼拝

2021年1月24日降誕節第5主日

<教会学校>
聖書:マルコ福音書14章32−36節
説教:「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」小林姉
出席:幼小5、中高0、父母5、教師10

<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書4章12−17節
讃美歌: 23、228、234A
交読詩編:46編
説教:  「宣教の開始」小友絹代牧師
出席:  20日(子供2)
*今週、27日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会、30日(土)午後2:00より讃美歌カフェ
があります。
*次週礼拝は高アンナ神学生が担当します。

<説教要旨>
*主イエスの宣教の開始は、「ヨハネが捕らえられた」から始まる。これは、受難予告であり、
また神の御心に従うという宣言でもある。
*引用される預言者イザヤの預言は、アッシリア支配の時代にガリラヤ地方が暗黒の時代であ
ったことを示す。主イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と語ったが、悔い改めは方向
転換を意味し、神の方に向き合うことである。その後に、「なぜなら」という接続詞がある。
神の方に方向転換できるのは、神の国が近づいたからである。つまり、これは主イエスの宣言
である。この宣言から主イエスの宣教は始まる。それは礼拝を意味する。礼拝で説教を聴くこ
とは、この宣言を聞くことなのである。
posted by nakamuracho at 13:57| Comment(0) | 礼拝記録

2021年01月17日

2021年1月17日主日礼拝

2021年1月17日降誕節第4主日

<教会学校>
聖書:マルコ福音書1章14−15節
説教:「御国をきたらせたまえ」佐々木兄
出席:幼小3、中高0、父母3、教師9

<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書4章18−25節
讃美歌: 19、U173、270
交読詩編:詩編111編
説教:  「キリストの弟子」小友聡牧師
出席:  26名(子1)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*役員会では4月から「聖書協会共同訳」に切り替えることを検討中です。

<説教要旨>
*主イエスはガリラヤ湖で漁をするペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネを召し出しました。ペトロ
とアンデレは網を捨てて従い、ヤコブとヨハネは舟と父親を残して従いました。そのきっぱりとした
召命感が際立ちます。
*そのあと、主イエスは会堂で教え、福音を宣べ伝え、病人を癒しました。そのうわさが広がり、人
々は主イエスのもとに多くの病人や苦しむ人々を連れて来ると、皆癒されました。その癒された大勢
の群集が主イエスに従いました。
*二つの話は一つに繋がっています。主イエスに従ったのはペトロやヤコブ、ヨハネだけではありま
せん。癒された大勢の群集たちも主イエスに従ったのです。キリストの弟子は、名もなき大勢の群集
たちでもあるのです。彼らは主イエスの言葉を聞いて救われ、苦しむ親しい者たちを主イエスの許に
連れて来ました。そういう名もなきたくさんの人々をも主イエスは私の弟子と呼んでくださいます。
キリストの弟子になるとは、模範的な、秀でた弟子になるということではなく、名もなき群衆として、
キリストに従い、苦しむ人たちに福音を届けることではないでしょうか。
posted by nakamuracho at 13:03| Comment(0) | 礼拝記録