2021年02月28日

2021年2月28日主日礼拝

2021年2月21日受難節第2主日

<教会学校>
聖書:出エジプト記20章1−22節
説教:「神を愛しなさい」久慈姉
出席:幼小7、中高0、父母5、教師10
*オリジナル子供さんびか「十戒」を皆で歌いました。
<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書12章22−32節
讃美歌: 26、267、399
交読詩編 130編
説教:  「悪霊を追い出す」小友絹代牧師
出席:  37名(子供2)
*深澤和代姉の葬儀が23日に行われ、納骨式は4月11日(日)午後に教会墓地で行う予定です。
*礼拝後に予算委員会をいたしました。
<説教要旨>
*主イエスは目が見ず、口がきけない人を癒された。群衆は主イエスをダビデの子とほめたたえた。
しかし、ファリサイ派の人々は、悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出しているのだと中傷した。
これはファリサイ派の人々が妬んだからである。
*病人が癒されたことを喜ぼうとしないファリサイ派に主イエスは反論した。実は、皮肉なことに、
彼らも同様に悪霊を追い出していたのである。主イエスはそれを揶揄した。
*主イエスはこの癒しによって、神の国が近づいたことを証したのである(28節)。病人は悪霊に支配
されていた。それが癒されることは、神の支配に招き入れられているということである。主イエスは御
自分を略奪者に喩える。それは、主イエス御自身が十字架によって救いを成し遂げることを意味してい
る。その主が私と共に戦えと私たちを招いているのである。私たちにすでに救いが与えられていることを
否定することが「聖霊に言い逆らうこと」である。主イエスによって救いは与えられ、その救いに私たち
は招かれているのだ。それはどんなに幸いなことか。
posted by nakamuracho at 14:39| Comment(0) | 礼拝記録

2021年02月21日

2021年2月21日主日礼拝

2021年2月21日受難節第1主日

<教会学校>
聖書:ヨハネ黙示録19章1−4節
説教:「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」佐々木兄
出席:幼小5, 中高0, 父母3, 教師10
<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書4章1−11節
讃美歌: 10, 381, 385
交読詩編:62編
説教:  「誘惑を受ける」小友聡牧師
出席:  34名(子供2)
*深澤和代姉が19日に天に召され、23日(火)12:30より教会で葬儀を行います。
*聖書研究祈祷会が24日(水)午前10:30より行われます。
*讃美歌カフェが27日(土)午後2:00より行われます。
<説教要旨>
*主イエスは荒野で40日の断食をされたあと、悪魔の誘惑を受けられた。それは、かつてイスラエルの民が
エジプト脱出後に荒れ野で40年さまよい、水もパンも乏しい中で苦難を体験したことを主イエスが追体験した
のである。
*主イエスは三度も悪魔の誘惑を受けた。誘惑とは試みであり、試練である。聖書では、罪への誘惑と試練は同じ言葉で表現される。誘惑は、苦しい試練だけでない。欲しいものがすべて手に入ることによって、神を必要としなくなることも含まれる。だから、「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる」という言葉は私たちに重要である。それは私たちが礼拝で御言葉を聞き、御言葉を食べて生きることである。、
*主の祈りの中で「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」と祈る。これは試みがなくるようにという祈りではない。試みはあり続けるのだ。その試みの中から救出したまえという祈りである。主イエスは私たちの弱さをよく知っておられる。その主イエスがこう祈れと教えてくださったのが主の祈りである。「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになる」のである。このように私たちの弱さを知っておられる主イエスに従って私たちは歩むのである。今週も信じて歩もう。
posted by nakamuracho at 13:42| Comment(0) | 礼拝記録

2021年02月14日

2021年2月14日主日礼拝

2021年2月14日降誕節第8主日
<教会学校>
聖書:ルカ福音書22章31-34節
説教:「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」高神学生
出席:幼小5、中高0、父母4、教師9
<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書14章22−33節
讃美歌: 24、273A、298
交読詩編:107編17−32節
説教:  「逆風の中で」小友絹代牧師
出席:  29人(子供9)
*礼拝において、谷口正哉兄、谷口明子姉の転会式をしました。
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*16日(火)午後1時半から、綾部恵津子姉の葬儀をいたします。
*Eテレ「こころの時代」は2月21日(日)朝5時からです。
<説教要旨>
*主イエスは弟子たちを強いて湖の向こう岸へ向かわせた。その弟子たちが湖で逆風に遭うのである。
これは主イエスによる試みであったということがわかる。外からは逆風、内には恐怖で弟子たちは危機
に陥った。
*そのとき、ペトロは湖を歩く主イエスに近づこうとして溺れかけたが、主イエスによって助けられた。
このことは、教会が受ける試練を指している。教会は逆風と恐怖を経験する。聖書はそのことを教えて
いる。私たちが試練に遭うことは避けられないことである。けれども、主イエスを信じ、主イエスに頼
るならば、主イエスは必ず聞いてくださる。「安心しなさい」という主イエスの言葉は、「元気を出し
なさい」ということ。ヨハネ16章33節と同じ言葉である。
*キリストを見失うことは信仰者に避けられないこと。信じるがゆえに次々に問題が起こるのである。信
仰が無力に思えることがある。福音が無力に思えることがある。しかし、大事なことは主を呼び求めることだ。主は必ず引き上げてくださる。「勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」
posted by nakamuracho at 15:18| Comment(0) | 礼拝記録