2021年04月25日

2021年4月25日主日礼拝

2021年4月25日復活節第4主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書1章14−15節
説教  「神の福音を宣べ伝え始める」藤川いつ子姉
出席  幼小3、中高1、父母2、教師7

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書11章17−27節
讃美歌  1、156、168
交読詩編 詩編138編
説教   「イエスは復活また命」
出席    36名(子供1)
*礼拝後に定期教会総会を致しました。現住陪餐会員 22名出席。
*今週28日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
<説教要旨>
*ラザロは死んで墓に葬られ、すでに四日も経っていた。そのラザロの姉妹マリヤとマルタのもとに主イエス
はやって来た。主イエスはマルタに言われた「あなたの兄弟は復活する」と。それを聞いて、マルタは「終わりの日の復活は知っている」と答えた。その答えは、ユダヤ教ではそのように言われているということであって、マルタの信仰ではなかった。しかし、主イエスはマルタの信仰を問い、そして言われた。「私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。」
*私たちはどうか。一般的な信仰告白ではなく、今、自らが確かな信仰に生きているだろか。主イエスは地上の、肉体的死について語られたのではない。今、信じる私たちが死を超える霊的命に与っていると教えたのである。私たちは神との関わりにおいて永遠の命の中にすでに置かれているのである。私たちの現在の信仰において、私たちはすでに死を超える永遠の命に与り、キリストのものとされている。それは誰も奪うことができないものである。キリストのものとされていることを共に喜び、信仰に生きよう。
posted by nakamuracho at 16:49| Comment(0) | 礼拝記録

2021年04月18日

2021年4月18日主日礼拝

2021年4月18日復活節第3主日

<教会学校>
聖書:マルコ福音書1章9−13節
説教:「主イエス、洗礼を受け、荒野で誘惑を受けられる」佐々木兄
出席:幼小6、中高1、父母3、教師8

<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書12章38−42節
讃美歌: 56、二編190、385
交読詩編:4編
説教:  「復活のいのち」
出席:  34名(子供1)
*礼拝後に教会総会資料を作成しました。
*来週礼拝後に教会総会を開きます。
*今週24日(土)午後2:00−3:00に讃美歌カフェがあります。
<説教要旨>
*律法学者とファリサイ派が主イエスに「しるしを見せてほしい」と言いました。主イエスが神の子である
証拠を見せよと求めたのです。主イエスは「邪悪で不義の時代はしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしの
ほかには、しるしは与えられない」と言われました。
*しるしを求めるのは今の時代も同じです。目に見える確かなしるしを見せてくれたら、キリストを信じよう
と人は考えるでしょう。しかし、そういうしるしは今の時代には与えられないのです。たとえ目に見える確かなしるしはなくても、私たちは復活の主を信じて生きます。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探し求めますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(第1コリント1章)。
*昭和19年クリスマスの翌日、16歳の少女が阿佐ヶ谷の病院で息を引き取りました。主治医はその少女の父親でした。空襲が続き、薬も食料も欠乏する中、少女は臨終の間際においても、苦しい呼吸をしながら周りの人たちに「ありがとう」と感謝の言葉を伝えました。少女は教会学校の生徒で、病床で洗礼を受けていました。この少女の最期を看取った主治医の父親は、少女の通った教会の礼拝に通い、翌年イースターに洗礼を受けました。終戦直前のことです。この父親は以後、90歳を超えるまで私たちの教会で教会生活を貫きました。毎週、少女の写真を持参して。信じて病が癒される「しるし」はありませんでした。そういうしるしはなくても、父親は真っ直ぐに「われキリストを信ず」という信仰に生きることができました。私たちも「しるし」はなくても、キリストを信じて歩みます。
posted by nakamuracho at 14:01| Comment(0) | 礼拝記録

2021年04月11日

2921年4月11日主日礼拝

2021年4月11日復活節第2主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書1章1−8節
説教  「洗礼者ヨハネ、悔い改めの洗礼を宣べ伝える」小林姉
出席  幼小5、中高0、父母3、教師9

<主日礼拝>
聖書   マタイ福音書28章11−20節
讃美歌  55、153、225
交読詩編 111編
説教   「いつもあなたと共にいる」小友絹代牧師
出席   42名(子供1)
*礼拝後に教会学校教師会。
*午後2時半から、教会墓地で深澤和代姉の納骨式を行った。
*14日(水)午前10:30から聖書研究祈祷会。

<説教要旨>
*復活の主イエスに弟子たちはガリラヤの山で出会った。その場所は、かつて山上の説教が語られたところで
あったかも知れない。しかし、弟子たちには葛藤があった。なぜなら彼らは主イエスを捨てて逃げたからである。その思いは我々にもあてはまる。
*「しかし疑う者もいた」と書かれてある。主イエスを見ていながら、弟子たちは疑ったのである。そういう弟子たちであったにもかかわらず、その弟子たちに主イエスは宣教命令を与えた。
*水野源三という瞬きの詩人がいる。彼は意志を伝える手段が瞬きだけであった。にもかかわらず、神に生かされている恵みを言葉に表した。その水野さんも弟子たちと同じ弱さを持っていた。しかし、その弟子たちに宣教命令を与えたのである。
*主は「私はいつも共にいる」と言われる。だから、キリストを伝えよと言うのである。いや、キリストを伝えるときにこそ、主は共にいるのである。教会は伝道を使命としている。その源は2000年前の、この主イエスの宣教命令なのである。弟子たちがそれに従ったように私たちもそう歩もう。


posted by nakamuracho at 19:22| Comment(0) | 礼拝記録