2021年04月18日

2021年4月18日主日礼拝

2021年4月18日復活節第3主日

<教会学校>
聖書:マルコ福音書1章9−13節
説教:「主イエス、洗礼を受け、荒野で誘惑を受けられる」佐々木兄
出席:幼小6、中高1、父母3、教師8

<主日礼拝>
聖書:  マタイ福音書12章38−42節
讃美歌: 56、二編190、385
交読詩編:4編
説教:  「復活のいのち」
出席:  34名(子供1)
*礼拝後に教会総会資料を作成しました。
*来週礼拝後に教会総会を開きます。
*今週24日(土)午後2:00−3:00に讃美歌カフェがあります。
<説教要旨>
*律法学者とファリサイ派が主イエスに「しるしを見せてほしい」と言いました。主イエスが神の子である
証拠を見せよと求めたのです。主イエスは「邪悪で不義の時代はしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしの
ほかには、しるしは与えられない」と言われました。
*しるしを求めるのは今の時代も同じです。目に見える確かなしるしを見せてくれたら、キリストを信じよう
と人は考えるでしょう。しかし、そういうしるしは今の時代には与えられないのです。たとえ目に見える確かなしるしはなくても、私たちは復活の主を信じて生きます。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探し求めますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(第1コリント1章)。
*昭和19年クリスマスの翌日、16歳の少女が阿佐ヶ谷の病院で息を引き取りました。主治医はその少女の父親でした。空襲が続き、薬も食料も欠乏する中、少女は臨終の間際においても、苦しい呼吸をしながら周りの人たちに「ありがとう」と感謝の言葉を伝えました。少女は教会学校の生徒で、病床で洗礼を受けていました。この少女の最期を看取った主治医の父親は、少女の通った教会の礼拝に通い、翌年イースターに洗礼を受けました。終戦直前のことです。この父親は以後、90歳を超えるまで私たちの教会で教会生活を貫きました。毎週、少女の写真を持参して。信じて病が癒される「しるし」はありませんでした。そういうしるしはなくても、父親は真っ直ぐに「われキリストを信ず」という信仰に生きることができました。私たちも「しるし」はなくても、キリストを信じて歩みます。
posted by nakamuracho at 14:01| Comment(0) | 礼拝記録