2021年06月27日

2021年6月27日主日礼拝

2021年6月27日聖霊降臨節第6主日

<教会学校>
聖書   マルコ福音書3章31−35節
説教   「主イエスの家族とされる」関姉
出席   幼小4、中高0、父母1、教師10

<主日礼拝>
聖書   ヨハネの手紙位置4章7−10節
讃美歌  73、352、二編12
交読詩編 84編
説教   「ここに愛があります」山森風花伝道師
出席   39名(子供2)
*本日、説教された山森風花先生はかつて神学生時代に中村町教会に出席し、教会学校の教師と
して奉仕をしてくださいました。

<説教要旨>
*この手紙は、傷ついた共同体に書き送られた手紙である。内部分裂している教会に、互いに愛し
合いましょうと勧められている。なぜ教会では愛し合うべきなのか。それはヨハネ福音書3章16節が
説明する。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も
滅びないで、永遠の命を得るためである。」
*神が御子を遣わしたのは、このお方が私たちの罪を贖ういけにえとして自らを捧げたということ。
この出来事が私たちに告げられている。それゆえ、私たちは互いに愛し合うようにと勧められるので
ある。したがって私たちが愛し合うのは、私たちにそれができないゆえに、神の賜物である。愛する
ことができない現実を私たちは抱えている。その傷ついた共同体に愛が語られている。それは今、私
たちに語られていることなのである。
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2021年06月20日

2021弁6月20日主日礼拝

2021年6月20日聖霊降臨節第5主日

<教会学校>
聖書   マルコ3章13−19節
説教   「十二人を使徒に任命する」佐々木兄
出席   幼小4、中高0。父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   コリントの信徒への手紙二8章1−15節
讃美歌  70、367、391
交読詩編 詩編92編
説教   「恵みの業に加わる」
出席   31名(子供1)
*今週、23日(水)午前10:00より聖書研究祈祷会、26日(土)午後2:30より讃美歌カフェがあります。
*本日、小友聡牧師は目黒原町教会の礼拝に招かれました。
*次週の礼拝で山森風花伝道師が説教をしてくださいます。

<説教要旨>
*「あなたがたは、信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、私たちから受ける愛など、すべての点で満ち溢れ
ているのですから、この恵みの業にも満ち溢れる者となっています。」(7節)コリントの教会の人々に、
パウロは恵みの業に加われ、と勧めます。
*パウロが見つめているのは主イエス・キリストです。「すなわち、主は富んでおられたのに、あなたが
たのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした。」
(9節)この言葉の通り、主イエス御自身が神であることを捨て去って、私たちの罪の現実に立ってくださ
いました。主イエスは私たちの罪の犠牲となり、十字架の死によって私たちの罪を贖ってくださいました。
主イエスの貧しさによってあなたがたが豊かになるとは、そういうことを意味しています。それゆえに、
私たちは喜んで主に仕える者となるのです。

posted by nakamuracho at 15:14| Comment(0) | 礼拝記録

2021年06月13日

2021年6月13日主日礼拝

2021年6月13日聖霊降臨節第4主日

<教会学校>
聖書   マルコ福音書3章1−6節
説教   「安息日に手の萎えた人をいやす」吉田姉
出席   幼小3、中高4、父母2、教師8

<主日礼拝>
聖書   フィリピの信徒への手紙2章12−18節
讃美歌  68、450、338
交読詩編 詩編32編
説教  「キリストの日に誇る」
出席   31名(子供1)
*礼拝において、藤田洋一兄の役員任職式をいたしました。
*礼拝後に教会学校教師会がありました。

<説教要旨>
*「こうして私は、無駄に走ったわけでも、無駄に労苦したわけでもなかったと、キリストの日に
誇ることができるでしょう」(16節)とパウロはフィリピ教会の人々に書いている。終わりの日、
キリストが来臨される時、キリスト者は主の御前に招かれる。その時、キリストを信じて生き抜い
たことは無駄ではなかったと誇ることができる。パウロは自らの死を覚悟して、この事を語った。
このパウロの手紙を読んで、フィリピ教会の人々は奮い立ったことだろう。パウロによって創設さ
れたこのフィリピ教会を皆で一緒に担って行こう、という思いになったに違いない。それは、今日、
ここに集まる私たちも同じである。
*中村町教会の創立者、上田公子牧師に関する貴重な資料が見つかった。昭和9年に夫・上田丈夫牧
師が急逝した時、公子夫人は「これからどうしたらいいかわからない」と悲嘆に暮れた。その悲痛な
文章が遺っている。当時、公子夫人37歳。しかし、その直後に公子夫人は日本神学校に入学し、3年後、
卒業して婦人伝道師になった。戦時下を生き抜き、昭和27年6月15日に還暦近くなった上田公子牧師が
丈夫牧師の志を実現し、この地に教会を建てた。これが中村町教会の始まりである。中村町教会はその
後、消滅の危機に陥った。昭和47年に礼拝を休止した。しかし、阿佐ヶ谷東教会の方々によって接ぎ木
され再建されたが、頼みの高崎牧師を失い、またしても危機に陥った。ひたすら苦労が続いたにもかか
わらず、上田牧師や高崎牧師の志を共有する信徒たちが教会を担い、今日に至っている。パウロが「走
ったこと、労苦したことは無駄ではない。キリストの日にそれを誇ることができる」とフィリピ教会に
書いたことは、私たちの教会にもあてはまる。いや、これは私たち自身の思いである。
*私たちの信仰生活も山あり、谷ありで、苦労は多い。しかしキリストのために走ったことが無駄では
なく、労苦したことも無駄ではなかった、とキリストの日に誇ることができるという言葉を与えられて
いる。この励ましの言葉を握りしめて、共に歩もう。
posted by nakamuracho at 13:14| Comment(0) | 礼拝記録