2021年10月31日降誕前第8主日
<教会学校>
聖書 マルコ福音書10章13−16節
説教 「子供たちを祝福する」
出席 幼小2、中高0、父母1、教師9
<主日礼拝>
聖書 マタイ福音書15章21−26節
讃美歌 7, 267, 358
交読詩編 130編
説教 「あなたの願い通りになるように」
出席 35名(子供0)
*本日は山森風花伝道師が説教を担当されました。
*小友聡牧師は西千葉教会の礼拝説教奉仕に出かけました。
*11月3日に藤田菜美姉が江松大貴さんと結婚をされます。
*次週11月7日(日)主日礼拝において、聖餐式が執行されます。
2021年10月31日
2021年10月31日主日礼拝
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| 礼拝記録
2021年10月24日
2021年10月24日主日礼拝
2021年10月24日聖霊降臨節第22主日
<教会学校>
聖書 マルコ福音書9章33−37節
説教 「いちばん偉い者」
出席 幼小3、中高o、父母3、教会7
<主日礼拝>
聖書 創世記2章2b−9、15−26節
讃美歌 6, 75, 444
交読詩編 19編
説教 「創造」小友絹代牧師
出席 32名(子供1)
*本日、小友聡牧師は使徒教会の応援に行っています。
*今週27日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*次週31日(日)は山森風花伝道師が説教をされます。
<説教要旨>
*創世記は2章4節後半から、第二の創造物語が始まります。そこでは、人間は土の塵から造られ、神によって
息を吹きかけられて生きた存在となりました。ここではまだ、人間は人と呼ばれます。この人について、神は独りでいるのは良くない、ふさわしい助け手を造ろうと言われ、それによって人のあばら骨の一つから神は女をお造りになりました。
*神は人に命令を与えます。それは、園にある善悪の知識の木からは取って食べるな、という命令でした。この実を食べると必ず死ぬことになるからです。楽園において、神は人間に自由を与えたのです。人間は神から自由を与えられた存在です。けれども、たった一つの約束がありました。それが善悪の知識の実からは取って食べるなという命令です。その命令を守ることによって、自由は保証されます。自由には自ずと限界があり、また限界があるゆえに自由は自由なのです。与えられた自由を守るために、私たちは神との約束を守ります。それは、私たちが聖書を与えられているということです。
<教会学校>
聖書 マルコ福音書9章33−37節
説教 「いちばん偉い者」
出席 幼小3、中高o、父母3、教会7
<主日礼拝>
聖書 創世記2章2b−9、15−26節
讃美歌 6, 75, 444
交読詩編 19編
説教 「創造」小友絹代牧師
出席 32名(子供1)
*本日、小友聡牧師は使徒教会の応援に行っています。
*今週27日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*次週31日(日)は山森風花伝道師が説教をされます。
<説教要旨>
*創世記は2章4節後半から、第二の創造物語が始まります。そこでは、人間は土の塵から造られ、神によって
息を吹きかけられて生きた存在となりました。ここではまだ、人間は人と呼ばれます。この人について、神は独りでいるのは良くない、ふさわしい助け手を造ろうと言われ、それによって人のあばら骨の一つから神は女をお造りになりました。
*神は人に命令を与えます。それは、園にある善悪の知識の木からは取って食べるな、という命令でした。この実を食べると必ず死ぬことになるからです。楽園において、神は人間に自由を与えたのです。人間は神から自由を与えられた存在です。けれども、たった一つの約束がありました。それが善悪の知識の実からは取って食べるなという命令です。その命令を守ることによって、自由は保証されます。自由には自ずと限界があり、また限界があるゆえに自由は自由なのです。与えられた自由を守るために、私たちは神との約束を守ります。それは、私たちが聖書を与えられているということです。
posted by nakamuracho at 16:41| Comment(0)
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2021年10月17日
2021年10月17日主日礼拝
2021年10月17日聖霊降臨節第22主日
<教会学校>
聖書: マルコ福音書9章14−29節
説教: 「汚れた霊に取りつかれた子をいやす」佐々木兄
出席: 幼小2、中高0、父母1、教師8
<主日礼拝>
聖書: マタイ福音書25章1−13節
賛美歌: 90、187、355
交読詩編:23編
説教: 「天の国のたとえ」
出席: 27名(子供1)
*今週、23日(土)午後2:30−3:30に讃美歌カフェがあります。
*10月31日(日)山森風花伝道師が説教をされます。
<説教要旨>
*「十人のおとめ」の譬えは天の国の譬えです。主イエス・キリストが天から再び地上に到来する、キリストの再臨ということが天の国の到来ということです。この天の国の到来が、花婿を迎える婚姻の祝宴に喩えられているのです。花婿はキリストであり、花婿を待つ乙女たちは教会を意味しています。教会は主イエス・キリストの来臨を待つ群れなのです。教会には多くの信徒たちがいます。ですから、教会が10人の乙女に喩えられているのです。
*花婿を待つ乙女は教会です。乙女たちは灯をともして花婿を待っています。その灯をともす油を愚かな乙女たちは用意していませんでした。油とは何でしょうか。油とは、その人の信仰と考えることができます。「私の信仰がなくなりかけています。どうかあなたの信仰を私に少し分けてください」と言うことはできないのです。花婿は真夜中に突然やって来るのです。その時にキリストの前に立つ準備がきちんとできているかが問われます。
*花婿の到着が遅れた時、皆がうとうと眠ってしまったと5節に書かれています。愚かな乙女も、賢い乙女も眠ってしまったのです。にもかかわらず、賢い乙女たちが油を十分に用意していました。火が消えかかっているように見えても、花婿到着の知らせを聞いて、起きてすぐに迎える用意ができるのです。そういう信仰者にならせていただきたいと思います。私たちの信仰生活は私たちに油を蓄えさせてくれるのではないでしょうか。信仰生活は山あり谷ありですが、決して無駄にはなりません。長い信仰生活はそれだけで尊い財産なのです。
<教会学校>
聖書: マルコ福音書9章14−29節
説教: 「汚れた霊に取りつかれた子をいやす」佐々木兄
出席: 幼小2、中高0、父母1、教師8
<主日礼拝>
聖書: マタイ福音書25章1−13節
賛美歌: 90、187、355
交読詩編:23編
説教: 「天の国のたとえ」
出席: 27名(子供1)
*今週、23日(土)午後2:30−3:30に讃美歌カフェがあります。
*10月31日(日)山森風花伝道師が説教をされます。
<説教要旨>
*「十人のおとめ」の譬えは天の国の譬えです。主イエス・キリストが天から再び地上に到来する、キリストの再臨ということが天の国の到来ということです。この天の国の到来が、花婿を迎える婚姻の祝宴に喩えられているのです。花婿はキリストであり、花婿を待つ乙女たちは教会を意味しています。教会は主イエス・キリストの来臨を待つ群れなのです。教会には多くの信徒たちがいます。ですから、教会が10人の乙女に喩えられているのです。
*花婿を待つ乙女は教会です。乙女たちは灯をともして花婿を待っています。その灯をともす油を愚かな乙女たちは用意していませんでした。油とは何でしょうか。油とは、その人の信仰と考えることができます。「私の信仰がなくなりかけています。どうかあなたの信仰を私に少し分けてください」と言うことはできないのです。花婿は真夜中に突然やって来るのです。その時にキリストの前に立つ準備がきちんとできているかが問われます。
*花婿の到着が遅れた時、皆がうとうと眠ってしまったと5節に書かれています。愚かな乙女も、賢い乙女も眠ってしまったのです。にもかかわらず、賢い乙女たちが油を十分に用意していました。火が消えかかっているように見えても、花婿到着の知らせを聞いて、起きてすぐに迎える用意ができるのです。そういう信仰者にならせていただきたいと思います。私たちの信仰生活は私たちに油を蓄えさせてくれるのではないでしょうか。信仰生活は山あり谷ありですが、決して無駄にはなりません。長い信仰生活はそれだけで尊い財産なのです。
posted by nakamuracho at 12:58| Comment(0)
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