2021年11月28日待降節第1主日
<教会学校>
聖書 マタイ福音書1章1−17節
説教 「イエス・キリストの系図」赤坂姉
出席 幼小3、中高1、父母1、教師9
<主日礼拝>
聖書 ヘブライ人への手紙11章12−16節
讃美歌 9、352、448
交読文 詩編23編
説教 「天の故郷をめざして」
出席 45名(子供4)
*本日は永眠者記念礼拝をいたしました。礼拝後に有志で小平墓地に参りました。
*本日からアドベントに入りました。
<説教要約>
*私たちもいつか死を迎える。それはやりきれない、つらいこと。けれども、私たちは独りではない。
それは、私たちはキリストの御手に守られて死ぬからである。ハイデルベルク信仰問答の1にあるように、
私たちのただ一つの慰めは、私たちが主のものとされていることである。
*ヘブライ人への手紙11章は、信仰に生きた旧約の信仰者について記す。この時代は教会は迫害にあり、
信仰を守ることが困難な状況にあった。その中で、旧約の信仰者たちを思い起こせと励ましているので
ある。それは天の故郷をめざす生き方である。私たちの命は神から貸し与えられたもの。本来、神のも
のである。その貸し与えられた命を生きるのである。
2021年11月28日
2021年11月28日主日礼拝
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| 礼拝記録
2021年11月22日
2021年11月21日主日礼拝
2021年11月21日降誕前第5主日
<教会学校>
聖書 マルコ福音書10章46−52節
説教 「主イエス、盲人バルティマイをいやす」 佐々木兄
出席 幼小4、中高3、父母2、教師10
<特別礼拝>
聖書 ヨハネ福音書2章1−11節
讃美歌 二編1、30、338
交読詩編 詩編42編
説教 「水を運ぶ日々」小島誠志先生
出席 42名(子供0)
*本日は特別礼拝で、久万教会牧師(前教団議長)の小島誠志先生を昨年に引き続いてお招きしました。
*次週は永眠者記念礼拝をいたします。礼拝後に小平墓地へ墓参をします。
*24日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会をいたします。
<説教要旨>
*カナの婚礼において、客をもてなすブドウ酒が底をつきました。それは私たちの人生に似ています。
自分の力ではどうしようもない困難に遭遇します。そのとき、どうするか。それを聖書は教えているの
ではないでしょうか。こちらから扉を開けることはできません。扉のむこうにおられる主が開けて下さ
る、それを信じて待つのが信仰に生きると言うことです。
*主イエスは僕たちに水がめに水を入れるよう命じるのです。僕たちは水を一杯にした水がめを運ぶの
です。そのかめの水が良質のぶどう酒に変わりました。結婚式の喜びは失われませんでした。
*水を運んだ僕たちは自分たちが何のために水を運ぶのかわかっていませんでした。ただ、そう命じら
れたからひたすら運んだのです。これが私たちの信仰生活です。人生は骨折り仕事です。しかし水を運
ぶのです。すべての労苦を最上のぶどう酒に変えて下さる方がおられるのです。約束してくださる主を
信じて、忍耐して歩むのです。いつかわかる日が来る。必ず夜明けが来るのです。
<教会学校>
聖書 マルコ福音書10章46−52節
説教 「主イエス、盲人バルティマイをいやす」 佐々木兄
出席 幼小4、中高3、父母2、教師10
<特別礼拝>
聖書 ヨハネ福音書2章1−11節
讃美歌 二編1、30、338
交読詩編 詩編42編
説教 「水を運ぶ日々」小島誠志先生
出席 42名(子供0)
*本日は特別礼拝で、久万教会牧師(前教団議長)の小島誠志先生を昨年に引き続いてお招きしました。
*次週は永眠者記念礼拝をいたします。礼拝後に小平墓地へ墓参をします。
*24日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会をいたします。
<説教要旨>
*カナの婚礼において、客をもてなすブドウ酒が底をつきました。それは私たちの人生に似ています。
自分の力ではどうしようもない困難に遭遇します。そのとき、どうするか。それを聖書は教えているの
ではないでしょうか。こちらから扉を開けることはできません。扉のむこうにおられる主が開けて下さ
る、それを信じて待つのが信仰に生きると言うことです。
*主イエスは僕たちに水がめに水を入れるよう命じるのです。僕たちは水を一杯にした水がめを運ぶの
です。そのかめの水が良質のぶどう酒に変わりました。結婚式の喜びは失われませんでした。
*水を運んだ僕たちは自分たちが何のために水を運ぶのかわかっていませんでした。ただ、そう命じら
れたからひたすら運んだのです。これが私たちの信仰生活です。人生は骨折り仕事です。しかし水を運
ぶのです。すべての労苦を最上のぶどう酒に変えて下さる方がおられるのです。約束してくださる主を
信じて、忍耐して歩むのです。いつかわかる日が来る。必ず夜明けが来るのです。
posted by nakamuracho at 10:19| Comment(0)
| 礼拝記録
2021年11月14日
2021年11月14日主日礼拝
2021年11月14日降誕前第6主日
<教会学校>
聖書 マルコ福音書10章35−45節
説教 「ヤコブとヨハネの願い」山下兄
出席 幼小3、中高2、父母2、教師10
<主日礼拝>
聖書 出エジプト記6章2−13節
讃美歌 8, 445, 二編174
交読詩編 77編
説教 「救いの約束」小友絹代牧師
出席 32名(子供1)
*次週21日は特別礼拝で、小島誠志先生が説教をしてくださいます。
*28日(日)は永眠者記念礼拝です。礼拝後に小平墓地に参ります。
<説教要旨>
*神はモーセに語った。しかし、モーセは自信のなさを語る。自分は話下手だと。その自信のなさには理由がある。神が民を苦悩から救い出すと約束したのに、民はモーセを信用せず不平・不安を述べた。この6章の直前の5章22節でもモーセは自らの苦しみを語っている。
*しかし、神は一つ一つ導いてくださるのである。神はイスラエルとモーセを選ばれた。それは神の一方的な選びによる。モーセはイスラエルの民の指導者とはなれず、失敗してミディアンの牧羊者なった。もはや彼にはまったく力はなかった。けれども、そのモーセを神は選んだ。見栄えのしないモーセを。それは申命記7章でなぜ神がイスラエルを選んだかの理由と同じである。
*モーセは初めから偉大であったのではない。ミディアンの羊飼いにすぎなかったモーセを神は選んだ。モーセは苦労しながら成長して行く。それは神の選びに含まれていたのである。選ばれたモーセは、苦労しながら使命を果たしていくという仕方で選ばれた。我々も選ばれている。神は我々を選んでくださった。それゆえに、我々が苦労するのは、神による救いの約束のしるしなのである。
<教会学校>
聖書 マルコ福音書10章35−45節
説教 「ヤコブとヨハネの願い」山下兄
出席 幼小3、中高2、父母2、教師10
<主日礼拝>
聖書 出エジプト記6章2−13節
讃美歌 8, 445, 二編174
交読詩編 77編
説教 「救いの約束」小友絹代牧師
出席 32名(子供1)
*次週21日は特別礼拝で、小島誠志先生が説教をしてくださいます。
*28日(日)は永眠者記念礼拝です。礼拝後に小平墓地に参ります。
<説教要旨>
*神はモーセに語った。しかし、モーセは自信のなさを語る。自分は話下手だと。その自信のなさには理由がある。神が民を苦悩から救い出すと約束したのに、民はモーセを信用せず不平・不安を述べた。この6章の直前の5章22節でもモーセは自らの苦しみを語っている。
*しかし、神は一つ一つ導いてくださるのである。神はイスラエルとモーセを選ばれた。それは神の一方的な選びによる。モーセはイスラエルの民の指導者とはなれず、失敗してミディアンの牧羊者なった。もはや彼にはまったく力はなかった。けれども、そのモーセを神は選んだ。見栄えのしないモーセを。それは申命記7章でなぜ神がイスラエルを選んだかの理由と同じである。
*モーセは初めから偉大であったのではない。ミディアンの羊飼いにすぎなかったモーセを神は選んだ。モーセは苦労しながら成長して行く。それは神の選びに含まれていたのである。選ばれたモーセは、苦労しながら使命を果たしていくという仕方で選ばれた。我々も選ばれている。神は我々を選んでくださった。それゆえに、我々が苦労するのは、神による救いの約束のしるしなのである。
posted by nakamuracho at 13:22| Comment(0)
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