2022年01月30日

2022年1月30日主日礼拝

2022年1月30日降誕節第6主日

<教会学校>
聖書   マルコ福音書12章28−34節
説教   「最も重要な掟について教える」土肥姉
出席   幼小2、中高0、父母1、教会8

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書1章40−45節
讃美歌  6、121、399
交読詩編 61編
説教   「清くする」小友聡牧師
出席   28名(子供1)
*次週の聖餐式は、コロナの不安が軽減するまで延期します。大丈夫であれば、3月6日に執行を予定します。
*バザー委員会は3月に延期します。
*教会報107号ができました。
<説教要旨>
*「規定の病」を患う者が主イエスの前にひれ伏し、「お望みならば、私を清くすることができます」と言いました。主イエスはその言葉をまっすぐに引き受け、「私は望む。清くなれ」と言われました。そして、手を伸ばし、その人に触れて、お癒しになりました。
*主イエスはこの人を「深く憐れんだ」と書かれています。この言葉は断腸の思いということ。これは、放蕩息子を迎えた父親が息子を「憐れに思い」走り寄って迎えた、と同じ言葉です。それは私たちに対する主イエスの思いを表現しています。
*主イエスは私たちを憐れみ、病を癒してくださいます。しかし、それで終わりではありません。主イエスは交わりへと促します。教会の交わりへと招いてくださいます。それが清くすることです。私たちにとって病気の癒しだけでなく、孤独の癒しが必要です。コロナ禍の中、孤独を強いられている今の私たちにとって、今日の御言葉が慰めになります。

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2022年01月23日

2022年1月23日主日礼拝

2022年1月23日降誕節第5主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書12章13−17節
説教  「皇帝への税金への質問に答える」吉田姉
出席  幼小2、中高1、父母1、教師7

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書1章21−28節
讃美歌  3、234A、214 
交読詩編 46編
説教   「権威ある者」小友聡牧師
出席   28名(子供1)
*1月17日に内田正姉が106歳で天に召され、20日に教会で葬儀をいたしました。
*26日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会をいたします。

<説教要旨>
*安息日、カファルナウムの会堂でのこと。汚れた霊にとりつかれた男が主イエスの言葉を聞いて、突然叫び出した。主イエスは「黙れ、この人から出て行け」と言われると、汚れた霊がこの男に痙攣を起こさせ、大声を上げて出て行きました。
*ここには象徴的な意味がある。悪霊は人間の力を超えた力である。これに支配されると、健やかに生きることはできない。今を生きる私たちも問われている。私たちはどのような権威に従い、何の支配のもとにあるか。言い換えると、自分が何に属しているかということである。
*ハイデルベルク信仰問答の1を思い出す。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか、」「それは、私が私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主、イエス・キリ
ストのものであることです。このお方は御自分の尊い血をもって、私のすべての罪を完全に贖い、悪魔のあらゆる力から私を解放してくださいました。」
*あなたはどのような権威に属するか。私たちは答えます。私はキリストに属し、キリストのものとされて
いる。それゆえに、キリスト者はどんな悲しみをも乗り越えることができる。死ぬ時も失われない慰めがあるのだ。







































































































































































































































































































































































































































posted by nakamuracho at 12:48| Comment(0) | 礼拝記録

2022年01月16日

2022年1月16日主日礼拝

2022年1月16日降誕節第4主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書11章15−19節
説教  「神殿から商人を追い出す」佐々木兄
出席  幼小4、中高1、父母2、教師10

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書1章14−20節
讃美歌  2、228、329
交読詩編 100編
説教   「最初の弟子たち」
出席   37名(子供1)
*礼拝後に教会学校教師会をしました。
*今週22日(土)午後2:30-3:30に讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*「ヨハネが捕らえられた後」は主イエスの受難の始まりを意味する。「捕らえられる」は「引き渡される」と同じ言葉であり、主イエスの受難の言葉なのである。このあとに主イエスの宣教開始がある。「時は満ちた」は偶然ではなく、決定的な出来事、時が起こったということ。「神の国は近づいた」とは、主イエスが語ることにおいて、神の支配が現れたのである。
*ヨハネの宣教は悔い改めの宣教であり、律法を語った。主イエスの福音宣教はそれとは違い、救いはすでに来ていると語ったのである。舟が岸壁に近づいている。その岸壁に立つ人はその船の到着を待つのである。待って、その船に乗り込むのである。この福音を伝えるために弟子が選ばれた。主イエスは「人間を取る漁師にしよう」と言って漁師たちを招いた、突然、主イエスに呼ばれて、漁師たちは従ったのである。それはキリストに捕らえられたということ。それに尽きる。それまで考えても見なかった新しい生き方に招かれている。弟子となって、主のみ前に人を連れて来るのである。そういう伝道の使命が与えられている。
posted by nakamuracho at 15:54| Comment(0) | 礼拝記録