2022年05月29日

2022年5月29日主日礼拝

2022年5月29日復活節第7主日

<教会学校>
聖書  創世記9章9−17節 
説教  「ノアと虹の契約」山下兄
出席  幼小3、中高2、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書17章1−13節
讃美歌  23、159、537
交読詩編 102編1−19節
説教   「キリストの祈り」
出席   37名(子供1)
*礼拝後に、先週に引き続き教会ミニバザーを開催しました・

<説教要旨>
*キリストの祈りは、大祭司としての祈りである。神と弟子との間に立って、弟子のために
執り成すのである。「私の時が来る」とは十字架の死を指す。十字架は弟子たちには敗北に見
えた。しかし、信仰の目をもって見れば、そこに恵みがある。「子に栄光を顕わしてください」
とは、十字架に神の栄光を見ることができるようにしてくださいということである。
*「永遠の命」とは、キリストを知ること。知るとは信じること。つまり、キリストを信じて生
きることである。主イエスは教会のために執り成しておられる。後の教会のために、主イエスは
執り成すのである。この主イエスの祈りによって、今、教会は立っている。私たちもこの世にあ
って、キリストを証して生きるのである。それが教会が果たす使命である。邪悪な世にあって福
音を伝える意味がある。キリストは十字架で死んでくださったではないか。この主が大祭司とし
て私たちのために祈ってくださる。主は私たちを御自分のものとしてくださる。それは私たちを
宝としてくださったということである。

posted by nakamuracho at 13:47| Comment(0) | 礼拝記録

2022年05月22日

2022年5月22日主日礼拝

2022年5月22日復活節第6主日
<教会学校>
聖書   創世記3章1−10節
説教   「人間の罪」鹿村兄
出席   幼小3、中高2、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書16章16−24節
讃美歌  73、161、399
交読詩編 詩編96編
説教   「苦しみは喜びに」
出席   36名(子供1)
*礼拝後に教会ミニバザーを開催しました。
*今週25日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*今週28日(土)讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*主イエスは弟子たちに「しばらくすると、あなたがたはもう私を見なくなるが、またしばらく
すると、私を見るようになる」と言われた。弟子たちは何のことかわからなかった。主イエスは
御自分が十字架に掛けられて死を遂げるが、死を滅ぼし復活することを予告したのである。
*しかしそれだけではない。主イエスは苦しみと喜びという対称的な言葉を用いて、苦しみは喜び
に変わると語る。これは、弟子たちが主イエスを失い、悲嘆に暮れるが、やがて喜び変わると予告
したのである。ヨハネ福音書20章20節では、弟子たちが集まる家に復活の主が現れ、「弟子たちは
主を見て喜んだ」と記されている。弟子たちの苦しみが喜びに変わったことを証言している。
*苦しみが喜びに変わる。それは妊婦の苦しみにおいて説明される。妊婦の苦しみは産みの苦しみ
である。新しい命を授かる喜びに至るための苦しみである。この妊婦の苦しみこそ、今の苦しみで
ある。このように、あなたがたにも苦しみがある。しかし、その苦しみは喜びに変わる、と主は約
束してくださる。今、苦しくても、この苦しみはやがて喜びに変わる。主イエスが約束してくださっ
たこの言葉を信じて、希望を捨てずに歩もう。

posted by nakamuracho at 14:20| Comment(0) | 礼拝記録

2022年05月15日

2022年5月15日主日礼拝

2022年5月15日復活節第5主日

<教会学校>
聖書   創世記2章18−25節
説教   「アダムとエバ」佐々木兄
出席   幼小4、中高4、父母3、教師10

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書15章1−11節
讃美歌  22、249、525
交読詩編 98編
説教   「キリストにつながる」小友絹代牧師
出席   33名(子供1)
*来週22日(日)礼拝後に教会ミニバザーを開催します。
*イースターの記念写真ができました。受け取ってください。
*礼拝当番表ができました。
*70周年記念誌発行のため特別献金を募ります。

<説教要旨>
*「私はまことのぶどうの木」とは、イザヤ書5章の喩えと関係しています。神の期待に
答えられないすっぱいぶどう。それはイスラエルの民のこと。神様はぶどうの枝を剪定
して、もっと豊かに実を結ぶようにするのです。
*良いぶどう、豊かに実るぶどうとは何のことを言っているのでしょうか。ここでは、伝
道のことを言っているのです。キリストの弟子を増やし、数を増す。伝道の実を結ぶこと
を語っているのです。
*しかし、あなたがたは実を結びなさいとは命じられていません。私たちは自分では実を
結べないのです。ぶどうの枝はぶどうの木に繋がって実を結ぶのです。大事なことは、キ
リストにつながること。「私を離れては、あなたがたは何もできない」とはそういうこと
です。キリストにつながる。それは洗礼を受け、聖餐に与ることです。つまり教会につな
がるということです。今日につながり続ける。今日の御言葉を忘れずに歩みましょう。
  
posted by nakamuracho at 16:30| Comment(0) | 礼拝記録