2022年06月26日

2022年6月26日主日礼拝

2022年6月26日聖霊降臨節第4主日

<教会学校>
聖書  創世記22章6−14節
説教  「イサク奉献」小友聡牧師
出席  幼小3、中高1、父母1、教会8

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録16章1−10節
讃美歌  70、499、214
交読詩編 116編
説教   「福音は海を越えて」
出席   33名(子供0)
*70周年記念誌を欲しい方に差し上げます。
*「日毎の糧」による聖書通読を始めました。

<説教要旨>
*パウロの第2次伝道旅行は、バルナバとの仲たがいから始まった。パウロはシラスを連れて伝道に
出かけた。パウロはリストラでテモテという同行者を与えられた。テモテの父親はギリシア人であっ
た。そのためパウロはテモテに割礼を施した。不可解なことだが、ユダヤ人のつまずきを防ぐために
はやむを得なかった。
*パウロはそこからガラテヤ地方を通ってビティニア州に向かった。しかし、それが妨げられ、八方
ふさがりの経験をした。そのとき、パウロは幻を見た。神様ご自身の計画があったのである。福音は
アジアからヨーロッパへ。パウロはすぐマケドニアに出発した。20年足らずで教会は海を越えてヨー
ロッパにもたらされたのである。
*やがて、福音はヨーロッパから北米へ、そして日本にもたらされる。たくさんの伝道者たちがそれ
を担った。今、福音が日本に伝わっていることの不思議さ。神様の御計画を思わされる。
posted by nakamuracho at 13:02| Comment(0) | 礼拝記録

2022年06月19日

2022年6月19日創立記念礼拝

2022年6月19日聖霊降臨節第3主日

<教会学校>
聖書   創世記17章1−8節
説教   「アブラハムの契約」佐々木兄
出席   幼小2、中高4、父母1、教師7

<主日礼拝>
聖書 イザヤ書42章1−3節、ルカ福音書12章28−32節
讃美歌  68、267、338
交読詩編 126編
説教   「灯心の火を消さず」小友聡牧師
出席   38名(子供0)
*70周年記念誌が発行されました。そのための特別献金を募っています。
*今週、22日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会、25日(土)午後2:30より讃美歌カフェがあります。
*今週より「日毎の糧」を用いて、聖書通読を開始します。

<説教要旨>
*中村町教会は創立70周年を迎えました。この70年の歴史を一言で言うと、「灯心を消すことなく」に尽
きると思います。
*「灯心を消すことなく」は、イザヤ書42章3節の言葉です。この預言は、捕囚の時代に語られました。国
が滅び、生き残った人々がバビロンに捕囚されました。すべてを失った捕囚民は希望を失い、弱り果ててい
ました。「灯心の火を消さず」は、この小さな傷ついた群れに対する呼びかけです。今にも消えそうな灯心
の火を、主の僕が両手で抱きかかえように守るという約束の予告です。
*中村町教会はこの御言葉に象徴される歴史があります。1952年6月15日に上田公子という牧師が中村町教会
を設立しました。しかし、20年後に教会は風前の灯になりました。上田牧師が高齢となって、1972年4月から
礼拝が休止されました。教会が消滅するか、他の教会に吸収されるか、存亡の危機に立たされました。そのときに、阿佐ヶ谷東教会を離れた人たちが高崎毅牧師と一緒に合流し、中村町教会は消滅寸前で、復興したのです。今日の御言葉のように。しかし、翌年6月、高崎牧師が急逝し、皆が泣き崩れました。またしてもどん底
に突き落とされました。けれど、あちらこちらから説教者を招いて、信徒だけで礼拝を守り、1975年には佐藤敏夫牧師を迎えることができました。この佐藤先生により、教会はようやく安定を得て、今日に至ります。
*灯心の火を消さず。この小さな群れを神様は庇うように、灯心の火を守ってくださいました。主イエスも、ルカ福音書12章で、「小さな群れよ、恐れるな」と語り掛けてくださいます。消えそうな灯心を守って下さる主は、小さな群れよ、恐れるなと語ります。
*灯心を消すことなく、とは私たちが礼拝を守り続ける群れであったということです。そのあたりまえんことをあたりまえのこととして、これからも大事にする。私たちは礼拝共同体としての歩みを続けます。

posted by nakamuracho at 12:50| Comment(0) | 礼拝記録

2022年06月12日

2022年6月12日主日礼拝

2022年6月12日聖霊降臨節第2主日

<教会学校>
聖書   創世記12章1−9節
説教   「アブラハムの召命と祝福」小林姉
出席   幼小3、中高3、父母2、教会9

<主日礼拝>
聖書   ローマの信徒への手紙8章12−17節
讃美歌  67、181、358
交読詩編 97編
説教   「神の子とする霊」
出席   34名(子供1名)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*次週は創立記念礼拝です。70周年記念誌を発行します。
*教会標語「御言葉を食べ、御言葉を楽しむ」に寄せて、「日毎の糧」を用い聖書通読を
開始します。

<説教要旨>
*神事されるということは、罪ある私たちにとってとてつもないことである。キリストの十字架の
犠牲が私たちのためであったことを分からせてくれるのが聖霊である。
*祈りが重要である。祈りは神の子とされたことの証拠である。アッバとは、父に対する親密な言葉。
ゲツセマネで主イエスは目の前にいる神に足して「アッバ」と祈った。祈りは独り言ではない。神への
呼びかけである。我々も「父よ」と祈れるのである。
*しかし、私たちはイエスキリストの贖いによって神の子とされた。実子ではないけれど、実子に値する
者として相続人になるのである。神の子とされた生活はが大事である。神の子とされても苦しみはある。
しかし、それはキリストと共に苦しむのである。キリストと共にある生活を大切にしよう。「アッバ」と
神に呼びかけ、祈ることができる恵みを忘れてはいけない。
ことができる恵み
posted by nakamuracho at 13:33| Comment(0) | 礼拝記録