2022年7月24日聖霊降臨節第8主日
<教会学校>
聖書 創世記45章1−8節
説教 「宰相ヨセフ」関姉
出席 幼小3、中高4、父母2、教師8
<主日礼拝>
聖書 テモテへの手紙一3章14−16節
讃美歌 3, 352, 191
交読詩編 119編129−144節
説教 「神からの真理」小友絹代牧師
出席 26名(子供0)
*今週27日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
<説教要旨>
*パウロはテモテに手紙を書いたが、当時、パウロは深刻な状況にあった。パウロは教会の伝道の現場か
らこのテモテに手紙を書き送った。今日の御言葉に、教会の土台は神の真理であり、それは敬虔の秘義だ
と書かれている。その秘義とは、キリストによって明らかにされた真理である。引用されている16節の言
葉は教会で歌われていた讃美歌である。これは1章15節の「キリストは罪人を救うために世に来られた」
ということである。パウロはこのことをテモテに伝えようとしている。
*テモテはパウロの弟子であり、信仰によるまことの子と呼ばれている。テモテはしかし、同時にパウロ
の同労者でもある。パウロはテモテに支えられた。テモテのお蔭でパウロは伝道者として生きることがで
きた。テモテを信頼していられたからこそ、パウロは伝道者であり続けることができたのである。伝道者
もまた信徒も同じである。仲間がいるからこそ信仰生活ができるのである。
2022年07月24日
2022年7月24日主日礼拝
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| 礼拝記録
2022年07月17日
2022年7月17日主日礼拝
2022年7月17日聖霊降臨節第7主日
<教会学校>
聖書 創世記37章23−36節
説教 「売られるヨセフ」佐々木兄
出席 幼小4、中高4、父母3、教師7
<主日礼拝>
聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章2−11節
讃美歌 6, 285, 331
交読詩編 42編
説教 「十字架のつまずき」小友聡牧師
出席 32名(子供1)
*今週23日(土)午後2:30-4:00に讃美歌カフェがあります。
<説教要旨>
*パウロはガラテヤ教会の信徒たちに信仰義認について教えています。教会の信徒たちはまだ
ユダヤ教とキリスト教の区別がつきません。問題は、洗礼を受けた者が割礼を受けるべきかど
うかでした。パウロはもし割礼を受ければ、十字架のつまずきをなくすことになる、と厳しく
批判しました。
*十字架のつまずきという言葉をパウロは使います。つまずきとは妨げるものという意味です。
スカンダロス、これはスキャンダルの語源です。十字架のつまずきとは、神に呪われて十字架
で処刑されたキリストをキリスト者は信じるからです。ユダヤ人には躓きでした。けれども、
この躓きはなくてはならないもの。これがなくなれば、キリストがなさったことは見意味にな
るのです。
*十字架のつまずきは、受け入れることが難しいことがらだというです。しかし、この躓きであ
るキリストの十字架を通して、私たちは救いに導かれました。否定媒介と言えます。躓きという
なら復活も躓きです。けれども、この躓きを私たちは毎週告白します。伝道もそうです。伝道な
どやめて信仰を個人の心の問題として考えるなら、伝道も躓きです。けれども、教会は伝道する
共同体として始まったことを忘れてはならない。つまずきは与えられた恵みです。立派にはなれ
なくても、キリスト者として矜持を貫きたいと思います。
<教会学校>
聖書 創世記37章23−36節
説教 「売られるヨセフ」佐々木兄
出席 幼小4、中高4、父母3、教師7
<主日礼拝>
聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章2−11節
讃美歌 6, 285, 331
交読詩編 42編
説教 「十字架のつまずき」小友聡牧師
出席 32名(子供1)
*今週23日(土)午後2:30-4:00に讃美歌カフェがあります。
<説教要旨>
*パウロはガラテヤ教会の信徒たちに信仰義認について教えています。教会の信徒たちはまだ
ユダヤ教とキリスト教の区別がつきません。問題は、洗礼を受けた者が割礼を受けるべきかど
うかでした。パウロはもし割礼を受ければ、十字架のつまずきをなくすことになる、と厳しく
批判しました。
*十字架のつまずきという言葉をパウロは使います。つまずきとは妨げるものという意味です。
スカンダロス、これはスキャンダルの語源です。十字架のつまずきとは、神に呪われて十字架
で処刑されたキリストをキリスト者は信じるからです。ユダヤ人には躓きでした。けれども、
この躓きはなくてはならないもの。これがなくなれば、キリストがなさったことは見意味にな
るのです。
*十字架のつまずきは、受け入れることが難しいことがらだというです。しかし、この躓きであ
るキリストの十字架を通して、私たちは救いに導かれました。否定媒介と言えます。躓きという
なら復活も躓きです。けれども、この躓きを私たちは毎週告白します。伝道もそうです。伝道な
どやめて信仰を個人の心の問題として考えるなら、伝道も躓きです。けれども、教会は伝道する
共同体として始まったことを忘れてはならない。つまずきは与えられた恵みです。立派にはなれ
なくても、キリスト者として矜持を貫きたいと思います。
posted by nakamuracho at 16:03| Comment(0)
| 礼拝記録
2022年07月10日
2022年7月10日主日礼拝
2022年7月10日聖霊降臨節第6主日
<教会学校>
聖書 創世記32章23−31節
説教 「ヤボクの渡し」藤川姉
出席 幼小3、中高5、父母2、教師9
<主日礼拝>
聖書 使徒言行録13章13−25節
讃美歌 2、二編157、224
交読詩編 33編
説教 「神の約束の福音を語る」小友絹代牧師
出席 30名(子供2)
*奥野晶子姉が8日に天に召されました。86歳でした。ご家族だけで葬儀をいたします。
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*今週13日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
<説教要旨>
*パウロはバルナバと共にアンテオキアの教会から派遣され、ピシディア州のアンテオキアに到着した。
しかし、同行した助手のヨハネは実家のエルサレムに帰ってしまった。このことが、後のバルナバとの決
裂の原因になる。パウロはヨハネを受け入れなかった。ここにパウロの人間的破れがある。しかし、その
ようなパウロを神は用いたのである。もろい土の器を神は御自身の器として用いてくださる。
*パウロはこの地の会堂で、聖書朗読の後に説教をした。パウロの説教は、神の救済の歴史、イエス・キ
リストのご生涯、信仰への招きという内容である。その中で、神の救いの歴史が注目される。これは、神
は壮大な救いの御計画を持っておられるということである。パウロもまた、その神の救いの御計画の中で
伝道者として用いられている。聖霊により、パウロは今、律法学者ではなく、キリストを伝える福音の伝
道者として立っている。我々もまた神の御計画の中で、それぞれの仕方で務めを与えられているのである。
<教会学校>
聖書 創世記32章23−31節
説教 「ヤボクの渡し」藤川姉
出席 幼小3、中高5、父母2、教師9
<主日礼拝>
聖書 使徒言行録13章13−25節
讃美歌 2、二編157、224
交読詩編 33編
説教 「神の約束の福音を語る」小友絹代牧師
出席 30名(子供2)
*奥野晶子姉が8日に天に召されました。86歳でした。ご家族だけで葬儀をいたします。
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*今週13日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
<説教要旨>
*パウロはバルナバと共にアンテオキアの教会から派遣され、ピシディア州のアンテオキアに到着した。
しかし、同行した助手のヨハネは実家のエルサレムに帰ってしまった。このことが、後のバルナバとの決
裂の原因になる。パウロはヨハネを受け入れなかった。ここにパウロの人間的破れがある。しかし、その
ようなパウロを神は用いたのである。もろい土の器を神は御自身の器として用いてくださる。
*パウロはこの地の会堂で、聖書朗読の後に説教をした。パウロの説教は、神の救済の歴史、イエス・キ
リストのご生涯、信仰への招きという内容である。その中で、神の救いの歴史が注目される。これは、神
は壮大な救いの御計画を持っておられるということである。パウロもまた、その神の救いの御計画の中で
伝道者として用いられている。聖霊により、パウロは今、律法学者ではなく、キリストを伝える福音の伝
道者として立っている。我々もまた神の御計画の中で、それぞれの仕方で務めを与えられているのである。
posted by nakamuracho at 13:14| Comment(0)
| 礼拝記録