2022年09月04日

2022年9月4日主日礼拝

2022年9月4日聖霊降臨節第14主日

<教会学校>
聖書   ヨシュア記24章11−18節  
説教   「シケムの契約」佐々木兄
出席   幼小1、中高2、父母0、教師10

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録13章42−52節
讃美歌  10, 271下, U157
交読詩編 121編
説教  「異邦人の光」小友聡牧師
出席   41名(子供1)
*聖餐式を執行しました。
*礼拝後に役員会いたしました。

<説教要旨>
*パウロはバルナバと共にピシディア州のアンティオキアで伝道しました。町の人々はパウロの教え
に関心を抱いて、多くの人々が翌週も集まりました。けれども、ユダヤ人たちが妬みを抱いて、妨害し、
とうとうパウロたちを町から追い出したのです。このことがきっかけとなって、パウロは異邦人伝道
に献身することになりました。「異邦人の光」というイザヤ書46章の言葉が引用されます。
*パウロの伝道は妨害され、うまくいかず、その結果、次のイコニオンに行くのです。しかし、この
ように伝道がうまくいかないことが神の計画なのです。なぜならば、妨害によってパウロはそこにと
どまれず、移動せざるを得なかったからです。こうして、地の果てまで福音が伝わる神の計画が進む
のです。逆境もまた神の計画なのです。
*パウロはユダヤ人が永遠の命に属することを拒絶し、逆に異邦人が永遠に命を得られるように定め
られていると語ります。誰が救われ、誰が救われないのでしょうか。神の予定は私たちに分かりませ
ん。大事なことは誰もが福音に招かれているということです。
*このことは聖餐式にも当てはまります。聖餐式式文に「ふさわしくないままでパンを食べ、その杯
を飲む者は・・」と記され、不安に駆られる人がいるでしょう。けれども、ふさわしいか、ふさわし
くないかが区別されるのではありません。誰もがふさわしくないけれど、キリストによって罪赦され、
招かれているのです。ふさわしくないとはキリストの十字架と赦しを否定するということです。誰も
が洗礼を受けてキリストを身の纏い、招かれているのです。恵みに応えて生きる。信仰生活がまさに
恵みに応えて生きるということです。
posted by nakamuracho at 16:28| Comment(0) | 礼拝記録