2023年4月30日復活節第4主日
<教会学校>
聖書 マタイ福音書6:33-34
説教 「御国を来たらせたまえ」奥野姉
出席 幼小3、中高3、父母5、教会6
<主日礼拝>
聖書 ヨハネ福音書6章48−59節
讃美歌 20、207、287
交読詩編 119編33−40節
説教 「命のパン」小友絹代牧師
出席 32名(子供0)
*先週、教会総会が行われ、新年度の教会標語は「憩いの汀の教会」(詩編23:2)に決まりました。
また、役員選挙では、赤坂姉、藤田兄、吉田姉、山下兄、谷口兄、佐藤姉が選出され、次点は土肥姉
と久保姉でした。
*次週の礼拝は、聖書:ヨハネ福音書15章12−17節「選ばれた者」、説教者は小友聡牧師です。
<説教要旨>
*ヨハネ福音書には、主イエスが「私は・・である」と言う表現が幾つもある。その一つが「私はパンである」
だ。聖書では、主イエスが自分の肉を食べさせるとはどういうことか、と人々の間で議論された。自分の肉を食べさせるとは確かにぎょっとさせる。
*主イエスが「私はパンである」と言われたのは、6章の初めで主イエスが5千人に食べ物を与える奇跡をなさったからである。その奇跡の後に、主イエスは「私はパンである」と言われたのだ。主イエスが言われたこの言葉には深い意味がある。
*主イエスが与えるのは朽ちるパンではなく、命のパンである。主イエス御自身が私たちへの贈り物である。しかしそれは、ただ受けるのではなく、主のもとに行くことが必要である。それが信じるということである。聖餐式の際に恵みの座に出て聖餐に与るという教会がある。主のもとに行って「パンに与る」のである。
*「私はパンである」は十字架を指している。主イエスは私たちのために肉を割かれ、血を流されたのである。この十字架の前に、主イエスは弟子たちと最後の晩餐を共にした。それがルカ22章19節以下に記される。主イエスは弟子たちの前でパンを裂き「これは私の体である」と言われ、杯を「これは私の契約の血である」と言われた。主イエス・キリストは私たちのために犠牲となったお方である。このお方を信じて私たちは生きる。
2023年04月30日
2023年4月30日主日礼拝
posted by nakamuracho at 15:46| Comment(0)
| 礼拝記録
2023年4月30日主日礼拝
2023年4月30日復活節第4主日
<教会学校>
聖書 マタイ福音書6:33-34
説教 「御国を来たらせたまえ」奥野姉
出席 幼小3、中高3、父母5、教会6
<主日礼拝>
聖書
讃美歌
交読詩編
説教
出席
<教会学校>
聖書 マタイ福音書6:33-34
説教 「御国を来たらせたまえ」奥野姉
出席 幼小3、中高3、父母5、教会6
<主日礼拝>
聖書
讃美歌
交読詩編
説教
出席
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| 礼拝記録
2023年04月23日
2023年4月23日主日礼拝
2023年4月23日復活節第3主日
<教会学校>
聖書 ヘブライ人への手紙13章12−16節
説教 「御名をあがめさせたまえ」鹿村兄
出席 幼小4。中高6、父母3、教師7
<主日礼拝>
聖書 ルカ福音書24章36−49節
讃美歌 19、190、二編80
交読詩編 119編105−112節
説教 「神の言葉を食べる」
出席 41名(子供2)
*礼拝後に教会総会が行われました(23名)。
*26日(水)午前10:30より、聖書研究祈祷会が行われます。
*次週は小友絹代牧師が説教をします。
<説教要旨>
*ルカ24章はイースターの出来事をつぶさに証言する。その朝早く、女たちは墓の中で「主は復活した」
と言う天使の言葉を聞いて弟子たちに報告した。その日の午後、エマオに向かう二人の弟子に復活の主イ
エスが現れ、共に歩き、語られた。しかし主イエスであることに二人は気づかず、宿で主イエスがパンを
割いたときに初めて主イエスだとわかった。二人はエルサレムに急いで戻り、使徒たちに報告した。
*まさしくその時、復活の主イエスが集まっていた弟子たちの真ん中に立たれたのである。主イエスは自
分の手と足を見せ、焼いた魚を食べた。そして、弟子たちに旧約聖書を解き明かした。旧約聖書は主イエス
が救い主であることを預言する書であり、そレが成就したのだと。人の子は苦難を受け、十字架に掛かり、
三日後に復活すると生前の主イエスは3度も予告されていたが、弟子たちはそのことをようやく理解したの
である。
*今日の御言葉は「言葉」の大切さを教える。復活の主イエスに出会うのは、主イエスを目で見て、手で触
ってではない。言葉によって、聖書の言葉によって復活の主イエスに出会うのである。ヨハネ福音書20章で、
トマスに主イエスが「見ないで信じる者は幸いである」と言われたように。私たちは聖書の言葉によって、
聖書の言葉を媒介にしてキリストに出会う。だから、聖書の言葉を読み、暗記し、御言葉を大事にして生き
るのである。
*中村町教会は「御言葉を食べる」を標語にこの年度を歩んだ。御言葉は私たちにとって「食べるもの」。
私たちが生きるために必要な糧である。だから、苦しい時、孤独な時、聖書を読み、祈る。聖書の言葉でキ
リストが寄り添ってくださることがわかり、涙で聖書を濡らす経験をする。しかし、苦しい時だけでなく、
いつでもどんな時でも聖書の言葉を大事にする。聖書は命の糧。その御言葉を礼拝で毎週共に聞く礼拝共同
体が私たちの教会である。
<教会学校>
聖書 ヘブライ人への手紙13章12−16節
説教 「御名をあがめさせたまえ」鹿村兄
出席 幼小4。中高6、父母3、教師7
<主日礼拝>
聖書 ルカ福音書24章36−49節
讃美歌 19、190、二編80
交読詩編 119編105−112節
説教 「神の言葉を食べる」
出席 41名(子供2)
*礼拝後に教会総会が行われました(23名)。
*26日(水)午前10:30より、聖書研究祈祷会が行われます。
*次週は小友絹代牧師が説教をします。
<説教要旨>
*ルカ24章はイースターの出来事をつぶさに証言する。その朝早く、女たちは墓の中で「主は復活した」
と言う天使の言葉を聞いて弟子たちに報告した。その日の午後、エマオに向かう二人の弟子に復活の主イ
エスが現れ、共に歩き、語られた。しかし主イエスであることに二人は気づかず、宿で主イエスがパンを
割いたときに初めて主イエスだとわかった。二人はエルサレムに急いで戻り、使徒たちに報告した。
*まさしくその時、復活の主イエスが集まっていた弟子たちの真ん中に立たれたのである。主イエスは自
分の手と足を見せ、焼いた魚を食べた。そして、弟子たちに旧約聖書を解き明かした。旧約聖書は主イエス
が救い主であることを預言する書であり、そレが成就したのだと。人の子は苦難を受け、十字架に掛かり、
三日後に復活すると生前の主イエスは3度も予告されていたが、弟子たちはそのことをようやく理解したの
である。
*今日の御言葉は「言葉」の大切さを教える。復活の主イエスに出会うのは、主イエスを目で見て、手で触
ってではない。言葉によって、聖書の言葉によって復活の主イエスに出会うのである。ヨハネ福音書20章で、
トマスに主イエスが「見ないで信じる者は幸いである」と言われたように。私たちは聖書の言葉によって、
聖書の言葉を媒介にしてキリストに出会う。だから、聖書の言葉を読み、暗記し、御言葉を大事にして生き
るのである。
*中村町教会は「御言葉を食べる」を標語にこの年度を歩んだ。御言葉は私たちにとって「食べるもの」。
私たちが生きるために必要な糧である。だから、苦しい時、孤独な時、聖書を読み、祈る。聖書の言葉でキ
リストが寄り添ってくださることがわかり、涙で聖書を濡らす経験をする。しかし、苦しい時だけでなく、
いつでもどんな時でも聖書の言葉を大事にする。聖書は命の糧。その御言葉を礼拝で毎週共に聞く礼拝共同
体が私たちの教会である。
posted by nakamuracho at 14:53| Comment(0)
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