2023年8月27日聖霊降臨節第14主日(一日修養会)
<教会学校>
聖書 マタイ福音書16章13−20節
説教 「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」小友聡牧師
出席 幼小3、中高2、父母1、教師7
<主日礼拝>
聖書 マタイ福音書25章14−30節
讃美歌 15、391、338
交読詩編 33編
説教 「自分らしく、ご用のために」松本敏之牧師
出席 47名(子供1)
*本日は一日修養会で、松本敏之先生(鹿児島加治屋町教会牧師)をお招き
しました。礼拝後の修養会で、松本先生は「その名はイエス・キリスト」と
いうブラジルの讃美歌を紹介していただき、皆で共に歌いました。また、講
演の後半では「これまでの歩みを通して受けた恵み」というテーマで、先生は
御自身の証をお語りくださいました。
*次週は、第二コリント11章7−15節が読まれ、小友聡牧師による「パウロの誇
り」と題した説教があります。
<説教要旨>
*タラントンの喩えは、人生を喩えている。その喩えられている人生は、主のために
働くことである。1タラントンは現在の3000万円。タラントンはタレントで、神から与
えられている者を意味する。そのタレントをどう用いるかが問われる。神のためにど
う用いるかである。
*主人から5タラントン預かった人、2タラントン預かった人、そして1タレントン。主
人は不公平ではないかと私たちは思う。しかし、誰に対しても主人は同じ言葉を述べて、
ねぎらっている。「差」は私たちの目では大きいが、神の目から見れば同じなのである。
*主人にとって重要なのは、タラントンを受け取った者がそれをどう扱ったかである。1
タラントンをもらって、結局何もせずに終わる者は厳しく責任を問われる。私たちは自分
を人と比べず、自分に与えられた恵みに応えて生きねばならない。失敗してもいいのだ。
もし失った人がいたとしても、きっと主は赦したはずである。大事なことは、主の委託に
応えることである。
*何もできない、ということはないのだ。才能がなくても、自分の賜物を用いよう。私たち
は手紙を書くことができる。祈ることが出るではないか。その祈りによって支えられる人が
いるのだ。年をとってもできることはある。与えてくださった主人にお返しをするだ。喜ん
でお返しをする人生を送ろうではないか。
2023年08月27日
2023年8月27日主日礼拝
posted by nakamuracho at 18:48| Comment(0)
| 礼拝記録
2023年08月20日
2023年8月20日
2023年8月20日聖霊降臨節第13主日
<教会学校>
聖書 第2コリント12章1−3節
説教 「聖霊を信ず」佐々木兄
出席 幼小5、中高6、父母-、教師8
<主日礼拝>
聖書 ヤコブの手紙1章19−27節
讃美歌 6, 294, 527
交読詩編 75編
説教 「信仰の証し」小友聡牧師
出席 38名(子供2)
*次週は一日修養会です。鹿児島加治屋町教会牧師、松本敏之先生
をお招きし、講演を聞きます。礼拝後から午後2時までです。申し込
みは本日まで。次週の礼拝説教者は松本先生「自分らしく、ご用のた
めに」。
<説教要旨>
*ヤコブの手紙では、「御言葉を行う人になりなさい。ただ聞くだけの人であってはいけない」
と語られる。御言葉を行うことを忘れず、実践する人になれ、と強く勧められる。
*これは、「行い」を強調する点で特徴的である。2章14節には、信仰があると言っても、行いが
なければ何の役に立つかとも記される。これに対して、パウロは「信仰にによる義」を強調する。
行いに拠らず、ただキリストを信じる信仰によって人は救われると。行いではなく、信仰こそが重
要だとパウロは繰り返す。
*聖書には真逆のことが教えられているのか。そうではない。ヤコブの手紙では、教会での誤った
考え方に対して、教えているのだ。行いによらず、ただ信仰によって、と強調されることによって、
キリスト者には行いが求められないという極端な信仰理解がされていたのだ。ヤコブの手紙はそれを
糺し、御言葉を聞くだけの人にはなるな、御言葉を行う人になれと教えたのである。
*私たちは、もちろん行いによって救われるのではない。罪人であるこの私がただキリストの一方的
な赦しの愛によって救われたのである。その意味で、律法の行いは意味を持たない。けれども、信仰
によって義とされ救われたならば、その恵みに応えずはいられない。恵みに応答して生きるのである。
そこに私たちの行いが生まれる。信仰から行いが結実するのである。「御言葉を聞く」ということは、
ただ単に受け身ではなく「御言葉に聞き従う」ことなのである。
<教会学校>
聖書 第2コリント12章1−3節
説教 「聖霊を信ず」佐々木兄
出席 幼小5、中高6、父母-、教師8
<主日礼拝>
聖書 ヤコブの手紙1章19−27節
讃美歌 6, 294, 527
交読詩編 75編
説教 「信仰の証し」小友聡牧師
出席 38名(子供2)
*次週は一日修養会です。鹿児島加治屋町教会牧師、松本敏之先生
をお招きし、講演を聞きます。礼拝後から午後2時までです。申し込
みは本日まで。次週の礼拝説教者は松本先生「自分らしく、ご用のた
めに」。
<説教要旨>
*ヤコブの手紙では、「御言葉を行う人になりなさい。ただ聞くだけの人であってはいけない」
と語られる。御言葉を行うことを忘れず、実践する人になれ、と強く勧められる。
*これは、「行い」を強調する点で特徴的である。2章14節には、信仰があると言っても、行いが
なければ何の役に立つかとも記される。これに対して、パウロは「信仰にによる義」を強調する。
行いに拠らず、ただキリストを信じる信仰によって人は救われると。行いではなく、信仰こそが重
要だとパウロは繰り返す。
*聖書には真逆のことが教えられているのか。そうではない。ヤコブの手紙では、教会での誤った
考え方に対して、教えているのだ。行いによらず、ただ信仰によって、と強調されることによって、
キリスト者には行いが求められないという極端な信仰理解がされていたのだ。ヤコブの手紙はそれを
糺し、御言葉を聞くだけの人にはなるな、御言葉を行う人になれと教えたのである。
*私たちは、もちろん行いによって救われるのではない。罪人であるこの私がただキリストの一方的
な赦しの愛によって救われたのである。その意味で、律法の行いは意味を持たない。けれども、信仰
によって義とされ救われたならば、その恵みに応えずはいられない。恵みに応答して生きるのである。
そこに私たちの行いが生まれる。信仰から行いが結実するのである。「御言葉を聞く」ということは、
ただ単に受け身ではなく「御言葉に聞き従う」ことなのである。
posted by nakamuracho at 16:19| Comment(0)
| 礼拝記録
2023年08月13日
2023年8月13日主日礼拝
2923年8月13日聖霊降臨節第12主日
<教会学校>
聖書 フィリピ3章17−21背t
説教 「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審き」吉田姉
出席 幼小6、中高2、父母、教師7
<主日礼拝>
聖書 テサロニケの信徒への手紙一1章1−10節
讃美歌 11、214、503
交読詩編 121編
説教 「響き渡る神の言葉」
出席 42名(子供1)
*本日、小友聡牧師は妙高高原教会代務のために出張しています。
*次週は、ヤコブの手紙1章19−27節「信仰の証し」小友聡牧師の説教です。
*8月27日(日)一日修養会の申し込みは来週まで。修養会には松本敏之先生が
お出でになります。
<教会学校>
聖書 フィリピ3章17−21背t
説教 「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審き」吉田姉
出席 幼小6、中高2、父母、教師7
<主日礼拝>
聖書 テサロニケの信徒への手紙一1章1−10節
讃美歌 11、214、503
交読詩編 121編
説教 「響き渡る神の言葉」
出席 42名(子供1)
*本日、小友聡牧師は妙高高原教会代務のために出張しています。
*次週は、ヤコブの手紙1章19−27節「信仰の証し」小友聡牧師の説教です。
*8月27日(日)一日修養会の申し込みは来週まで。修養会には松本敏之先生が
お出でになります。
posted by nakamuracho at 17:41| Comment(0)
| 礼拝記録