2023年09月10日

2023年9月10日主日礼拝

2023年9月10日聖霊降臨節第16主日

<教会学校>
聖書  ローマの信徒への手紙1章16−17節
説教  「福音は救いをもたらす神の力」土肥姉
出席  幼小5、中高2、父母3、教師7

<主日礼拝>
聖書   ガラテヤの信徒への手紙6章11−18節
讃美歌  12, 139, 142
交読詩編 142編
説教   「十字架を誇る」小友絹代牧師
出席   40名(子供1)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*今週は、13日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*次週礼拝は、コロサイ書3章12−17節「キリストの平和」小友聡牧師。
礼拝において、役員任職式をいたします。

<説教要旨>
*ガラテヤ書は戦いの手紙と言われる、論争の書である。ガラテヤ教会の人々
が福音から離れて、律法を守ることへと向かっていたゆえに、パウロは厳しく
批判した。もし律法を守ることことが重要なら、キリストは十字架に掛かる必
要はなかった。
*「こんな大きな字で書く」というのは、強調の意味である。確かに、割礼を
受ければ、教会への迫害はなくなるだろう。しかし、それは誤った選択である。
十字架だけで生きられるかが問われている。キリストは「然り」と同時に「否」
とではない(第2コリント1:18)。
*パウロ自身、十字架が愚かであることを知っている。かつてパウロは教会の人
々を赦せなかった。神の呪われて死んだ人間がなぜメシアなのか。しかし、その
キリストにパウロは出会い、キリストの十字架の死が分かった。十字架にこそ神
の力が現れている。だから、十字架のほかに誇りはない。パウロはそう信じた。
我々もパウロのように十字架を誇り、愚直に生きようではないか。
*17節にキリストの焼き印という言葉がある。焼き印は、その人の所有者を現わす。
それは、我々が主のものとされていると言うことである。ハイデルベルク信仰問答
の問1を思い起こそう。我々が死ぬ時でさえも、なくならないただ一つの慰め。それ
は、この私が主のものとされているということである。この慰めを携えて、今週も
十字架を誇りとして歩もう。
posted by nakamuracho at 16:23| Comment(0) | 礼拝記録