2023年09月17日

2023年9月17日主日礼拝

2023年9月17日聖霊降臨節第17主日

<教会学校>
聖書  ローマ書5章1−5節
説教  「苦難は忍耐を」佐々木兄
出席  幼小3、中高3、父母1、教師7

<主日礼拝>
聖書   コロサイの信徒への手紙3章12−17節
讃美歌  7, 244, 二編191
交読詩編 122編
説教   「キリストの平和」小友聡牧師
出席    38名(子供2)
*礼拝において役員任職式をいたしました。
*礼拝後に臨時役員会がありました。
*次週は、第1テモテ6章11−16節、説教者は小友絹代牧師「信仰の闘い」

<説教要旨>
*コロサイ書はキリスト者はどう生きるか、信仰生活について具体的に教えてくれる。
憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けよと教えている。今日の御言葉は、
「ですから」という言葉から始まるが、それは「あなたがたはキリストと共に死んで、
復活させられたのだから」と言うことを指している。つまり、洗礼を受けて新しくされ
たのだからということである。
*このことに続き、赦しが勧められる。人を赦すことは難しいことである。だからこそ、
主イエスは主の祈りで、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく」と祈れと言われた。
今日の御言葉の到達点は何か。それは「感謝」である。キリスト者として人生の最期に
感謝することができるか。人生の最期に「ありがとう」と言えるか。感謝の言葉で人生
を終える。そういう信仰生活を送れと聖書は教える。
*もう一つ大事なことがある。それは「キリストの平和」である。あなたがたはキリス
トの平和のために教会に招かれている、と聖書は教える。平和はヘブライ語シャローム
である。これは平安のみならず平和をも意味する。前者は心の平安であり、後者は戦
争の対極としての平和である。両方を「キリストの平和」は意味する。私たちは心の平安
を得るためだけに教会に招かれているのではない。引き裂かれ、対立する世界の平和のた
めに祈ることが教会の大切な使命なのである。



posted by nakamuracho at 13:52| Comment(0) | 礼拝記録