2023年08月20日

2023年8月20日

2023年8月20日聖霊降臨節第13主日

<教会学校>
聖書  第2コリント12章1−3節
説教  「聖霊を信ず」佐々木兄
出席  幼小5、中高6、父母-、教師8

<主日礼拝>
聖書   ヤコブの手紙1章19−27節
讃美歌  6, 294, 527
交読詩編 75編
説教   「信仰の証し」小友聡牧師
出席   38名(子供2)
*次週は一日修養会です。鹿児島加治屋町教会牧師、松本敏之先生
をお招きし、講演を聞きます。礼拝後から午後2時までです。申し込
みは本日まで。次週の礼拝説教者は松本先生「自分らしく、ご用のた
めに」。

<説教要旨>
*ヤコブの手紙では、「御言葉を行う人になりなさい。ただ聞くだけの人であってはいけない」
と語られる。御言葉を行うことを忘れず、実践する人になれ、と強く勧められる。
*これは、「行い」を強調する点で特徴的である。2章14節には、信仰があると言っても、行いが
なければ何の役に立つかとも記される。これに対して、パウロは「信仰にによる義」を強調する。
行いに拠らず、ただキリストを信じる信仰によって人は救われると。行いではなく、信仰こそが重
要だとパウロは繰り返す。
*聖書には真逆のことが教えられているのか。そうではない。ヤコブの手紙では、教会での誤った
考え方に対して、教えているのだ。行いによらず、ただ信仰によって、と強調されることによって、
キリスト者には行いが求められないという極端な信仰理解がされていたのだ。ヤコブの手紙はそれを
糺し、御言葉を聞くだけの人にはなるな、御言葉を行う人になれと教えたのである。
*私たちは、もちろん行いによって救われるのではない。罪人であるこの私がただキリストの一方的
な赦しの愛によって救われたのである。その意味で、律法の行いは意味を持たない。けれども、信仰
によって義とされ救われたならば、その恵みに応えずはいられない。恵みに応答して生きるのである。
そこに私たちの行いが生まれる。信仰から行いが結実するのである。「御言葉を聞く」ということは、
ただ単に受け身ではなく「御言葉に聞き従う」ことなのである。


posted by nakamuracho at 16:19| Comment(0) | 礼拝記録
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: