2021年07月18日

2021年7月18日主日礼拝

2021年7月18日聖霊降臨節第9主日

<教会学校>
聖書:  マルコ福音書4章35−41節
説教:  「嵐を静める」
出席:  幼小3、中高6、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書:   ローマの信徒への手紙9章19−28節
讃美歌: 15、79、二編59 
交読詩編: 19編
説教:  「大いなる寛容」
出席   34名(子供2)
*礼拝において山下聡志兄の教会学校教師任職式をしました。
*今週24日(土)午後2:30−3:30に讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*パウロはイスラエルの民と異邦人との関係について語る。もともと神はイスラエルを神の民と
して選んだ。異邦人を選ばなかった理由を問うことはできない。造られた者が造った者に文句を
言うことはできないのである。
*しかし、神は異邦人を憐れみの器とした。それはホセアの預言が示す通り。神は我が民ではな
い者を我が民と呼ぶのである。それは、キリストが私たちの罪を皆引き受けて、十字架で贖いの死
を遂げられたことによって成就した。私たちは欠けた器だが、神によって憐れみの器と変えられた
のである。
*この神による恩寵について、神は大いなる寛容をもって忍耐されたと表現される。私たちは皆、
この「大いなる寛容」によって赦されている。神御自ら私たちに寛容を示してくださったゆえに、
私たちもまた寛容を失ってはならない。コロナ禍の中、寛容が失われているのではないか。自分の
狭い価値観で事柄を短絡的に決めつけず、寛容に生きる歩みをしよう。
posted by nakamuracho at 12:50| Comment(0) | 礼拝記録

2021年07月11日

2021年7月11日主日礼拝

2021年7月11日聖霊降臨節第8主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書4章26−34節
説教  「神の国についてたとえで話すA」山下兄
出席  幼小3、中高3、父母2、教師10

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録18章18節〜19章7節
讃美歌  72、191、二編111
交読詩編 119編105〜112節
説教   「教会の使命」
出席   34名(子供1)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*今週14日(水)午前10:30から聖書研究祈祷会があります。

<説教要旨>
*パウロはコリント滞在の後、エフェソに向かった。そこでアポロに出会った。アポロは雄弁な説教者
であった。このアポロをアキラとプリスキラの夫婦が助けたと書かれている。「もっと正確に神の道を
説明した」とあるのは、アポロの福音理解が十分ではなかったためであった。
*このアポロがコリントにいたときに、パウロはアポロに出会った。そのとき、アポロはヨハネの洗礼
しか知らなかった。それに対してパウロは、ヨハネは主イエスの前触れとして現れたのだとアポロに教
えた。アポロの福音理解は主イエスをきちんと理解したものではなく、主観的なものであった。アポロ
は教会ではなく、個人の業として伝道していたのである。
*パウロも、アクラとプリスキラ夫婦も教会の業として福音伝道を担っていた。アポロもまたそのように
教会の業として宣教を担う伝道者に変えられたのである。伝道は個人の業ではない。教会の業であって、
教会が伝道者を育てるのである。そのことを聖書ははっきりと教えている。
posted by nakamuracho at 14:58| Comment(0) | 礼拝記録

2021年07月04日

2021年7月4日主日礼拝

2021年7月4日聖霊降臨節第7主日

<教会学校>
聖書   マルコ福音書4章1−9節
説教   「神の国についてたとえで話す@」小林千鶴子姉
出席   幼小3、中高2、父母1、教師10

<主日礼拝>
聖書   テモテへの手紙一2章1−8節
讃美歌  79、403、308
交読詩編 詩編42編
説教   「祈りなさい」小友聡牧師
出席   31名(子供1)、陪餐26名
*本日は聖餐式を執行しました。
*礼拝後に役員会がありました。

<説教要旨>
*パウロは「祈りなさい」と勧めています。願いと祈りと執り成ちと感謝をすべてのために捧げなさいと。
なぜ祈ることを勧めるか、それは私たちが穏やかで静かな生活をするためだと説明されています。
*パウロは祈ることを教えています。しかも、自分のためだけではなく、王たちと高官たちのためにも執り成して祈るように勧めます。主イエスも祈れと言われました。神は祈るわが子が求める祈りをきちんと聞き取ってくださいます。また、どう祈ったらよいかという問いに対して、主イエスは主の祈りを教えてくださいました。
*忘れてならないことがあります。それは主イエスが十字架を前にしてゲツセマネで祈られたことです。それだけではありません。十字架の絶望的な苦しみの中で、主イエスは祈られました。エリ・エリ・レマ・サバクタニと叫び、罪人を執り成して祈り、「御手に委ねます」と息を引き取られました。このお方が私たちに祈ることを教え、またパウロも「祈りなさい」と勧めます。
*祈りは私たちにとって恵みです。人生最後に私たちが語る言葉も祈りです。最後に何一つできなくなる。その人生の終わりに、しかし、私たちにできることが残されています。祈ることです。声にならなくても、祈ることができる。その祈りを聞いて下さる方がおられる。祈りは私たちに与えられた最後の恵みであり、賜物です。「祈りなさい」と聖書が教えている意味がここにあります。
posted by nakamuracho at 15:28| Comment(0) | 礼拝記録