2022年09月11日

2022年9月11日主日礼拝

2022年9月11日聖霊降臨節第15主日

<教会学校>
聖書   士師記7章1−7節
説教   「ギデオンの戦い」鹿村兄
出席   幼小3、中高2、父母2、教師10

<主日礼拝>
聖書   第1コリント13章1−13節
讃美歌  11, 321, 二編184
交読詩編 91編
説教   「最高の道」小友聡牧師
出席   35名(子供2)
*礼拝後に教会学校教師会をしました。
*今週14日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。

<説教要旨>
*第1コリント13章は愛の章と呼ばれ、結婚式で必ず読まれる箇所である。けれども、最初に記される
のは、異言、信仰、施しの問題であり、愛がなければ無益だと語られる。この背景にはコリント教会の
事情がある。異言を語る人々は熱狂的に大声で語る。それは、愛がなければどらやシンバルを叩く音と
同じだとパウロは言うのである。
*しかし、預言はすたれ、異言は止み、知識もすたれるのだ。いつまでも残るのは信仰、希望、愛で
あり、そのうち最も大いなるものは愛であると言われる。最も大いなるものはなぜ信仰ではないのか。
なぜ希望ではないのか。コリント教会の問題も、原因は信仰ではなく、愛の欠如だということが示唆さ
れているかもしれない。それは今日の私たちの教会についても言えることである。
*なぜ信仰、希望、愛の中で愛が中心になるのだろうか。エミール・ブルンナーはこう説明する。信仰
はこれまで私たちが信じて来た生き方であり、信仰の根拠は過去にある。それに対し、希望は未来のこ
とで、私たちは将来に希望を置いて生きる。つまり、過去に土台を持つ信仰を大切にし、また未来に希
望を持って私たちは生きる。信仰も希望も大切で、それなしでは生きられない。しかし、最も大切なの
は愛である。愛は過去形ではなく、未来形でもない。愛は常に現在形である。この愛が信仰をも希望を
も包み込む。愛が信仰と希望をつなぐ。だから、愛が最も重要なのだ。この愛はキリストの愛、アガペ
ーの愛である。私たちはこの愛を与えられている。それゆえにこの愛に応えて生きるのである。
posted by nakamuracho at 14:41| Comment(0) | 礼拝記録

2022年09月04日

2022年9月4日主日礼拝

2022年9月4日聖霊降臨節第14主日

<教会学校>
聖書   ヨシュア記24章11−18節  
説教   「シケムの契約」佐々木兄
出席   幼小1、中高2、父母0、教師10

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録13章42−52節
讃美歌  10, 271下, U157
交読詩編 121編
説教  「異邦人の光」小友聡牧師
出席   41名(子供1)
*聖餐式を執行しました。
*礼拝後に役員会いたしました。

<説教要旨>
*パウロはバルナバと共にピシディア州のアンティオキアで伝道しました。町の人々はパウロの教え
に関心を抱いて、多くの人々が翌週も集まりました。けれども、ユダヤ人たちが妬みを抱いて、妨害し、
とうとうパウロたちを町から追い出したのです。このことがきっかけとなって、パウロは異邦人伝道
に献身することになりました。「異邦人の光」というイザヤ書46章の言葉が引用されます。
*パウロの伝道は妨害され、うまくいかず、その結果、次のイコニオンに行くのです。しかし、この
ように伝道がうまくいかないことが神の計画なのです。なぜならば、妨害によってパウロはそこにと
どまれず、移動せざるを得なかったからです。こうして、地の果てまで福音が伝わる神の計画が進む
のです。逆境もまた神の計画なのです。
*パウロはユダヤ人が永遠の命に属することを拒絶し、逆に異邦人が永遠に命を得られるように定め
られていると語ります。誰が救われ、誰が救われないのでしょうか。神の予定は私たちに分かりませ
ん。大事なことは誰もが福音に招かれているということです。
*このことは聖餐式にも当てはまります。聖餐式式文に「ふさわしくないままでパンを食べ、その杯
を飲む者は・・」と記され、不安に駆られる人がいるでしょう。けれども、ふさわしいか、ふさわし
くないかが区別されるのではありません。誰もがふさわしくないけれど、キリストによって罪赦され、
招かれているのです。ふさわしくないとはキリストの十字架と赦しを否定するということです。誰も
が洗礼を受けてキリストを身の纏い、招かれているのです。恵みに応えて生きる。信仰生活がまさに
恵みに応えて生きるということです。
posted by nakamuracho at 16:28| Comment(0) | 礼拝記録

2022年08月28日

2022年8月28日主日礼拝 2022年8月28日主日礼https://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/list拝

2022年8月28日聖霊降臨節第13主日
<教会学校>
聖書  出エジプト記34章1−10節
説教  「命の子牛と十戒の再授与」山下聡志兄
出席  幼小3、中高3、父母3、教師6

<主日礼拝>
聖書   エフェソの信徒への手紙4章25−32節
讃美歌  9, 513, 452
交読詩編 8編
説教   「新しい生き方」小友絹代牧師
出席   21名(子供1)
*来週の礼拝で聖餐式をいたします。

<説教要旨>
*新しい生き方とは、古い生き方と対比されている。古い生き方から新しい生き方に変わるのである。
聖書では、新し生き方をするとは洗礼を受けて、古い生き方に死ぬということ。古い人を脱ぎ捨て、
新しい生き方をするのである。言い変えると、キリストを着ることであり、教会につながることである。
*しかし、この手紙では、すでに洗礼を受けた人に対して新しい生き方が勧められている。それは、日々
洗礼を受ける歩みである。キリストを信じるとは生き方が具体的に変わるのである。たとえば、怒りと
いう感情については、それをコントロールすることが重要。怒りは罪を呼び起こす。そうならないために、
隣人には真実を語らねばならない。
*また、盗みについても教わる。盗むなというだけでなく、人に分け与える生き方をする。受けるより
与える方が幸いと言われた主を思い出さねばならない。さらに、悪い言葉を語らない。それは腐った言
葉を語る名ということ。人をだめにする言葉ではなく、建設的な言葉を語る必要がある。
*大事なことは、神がキリストにおいて私たちを赦してくださったという事実である。キリストが代価を
支払って私たちを救い出してくださったのである。それだからこそ、私たちは新しい生き方ができるので
ある。
posted by nakamuracho at 15:14| Comment(0) | 礼拝記録