2022年06月05日

2022年6月5日ペンテコステ礼拝

2022年6月5日聖霊降臨節第1主日

<教会学校>
聖書  創世記11章1−9節
説教  「バベルの塔とペンテコステ」小友絹代牧師
出席  幼小3、中高1、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録2章1−11節
讃美歌  66、177、183
交読詩編 146編
説教   「聖霊の賜物」
出席   37名(子供0)
*礼拝において聖餐式を執行しました。
*礼拝後に役員会をいたしました。
*6月19日(日)に創立記念礼拝をいたします。

<説教要旨>
*五旬祭の日、エルサレムに集まっていた主イエスの弟子たちの群れに、突然、天から聖霊が降りました。
聖書によれば、彼らは「神の偉大な御業を」語ったと言われます。「神の偉大な御業」とは何でしょうか。
それは、父なる神が独り子イエスキリストを地上に遣わし、このお方を犠牲にすることによって私たちの罪
の贖いを成し遂げて下さったということです。この神の救いの御計画が成就したということ。このことを弟子たちが皆、自分の国の言葉で語り出したのです。
*今日の御言葉に、「炎のような舌が現れ、一人一人にとどまった」とあります。何のことでしょうか。弟子たちが我を忘れ恍惚状態になったのではありません。そうではなく、聖書の言葉が一人一人の魂を捕らえたのです。キリストが十字架で死なれたのはこの私のためであったということがわかったのです。それが聖霊の働きです。極めて理性的な出来事でした。
*言葉に捕らえられて教会ができました。プロテスタント教会は言葉で信仰を理解します。それが伝統です。私たちは言葉を大事にします。御言葉を食べ、御言葉に養われて生きるのです。それは、この日、言葉が降ることによって教会となったからです。
*もう一つ大事なこと。それは、聖霊により、言葉に捕らえられた教会は伝道を開始したということです。教会は最初から伝道する教会だったのです。聖霊は私たちをキリストを証しする生活へと押し出してくださるのです。私たちは福音を伝える使命を与えられています。





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2022年05月29日

2022年5月29日主日礼拝

2022年5月29日復活節第7主日

<教会学校>
聖書  創世記9章9−17節 
説教  「ノアと虹の契約」山下兄
出席  幼小3、中高2、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書17章1−13節
讃美歌  23、159、537
交読詩編 102編1−19節
説教   「キリストの祈り」
出席   37名(子供1)
*礼拝後に、先週に引き続き教会ミニバザーを開催しました・

<説教要旨>
*キリストの祈りは、大祭司としての祈りである。神と弟子との間に立って、弟子のために
執り成すのである。「私の時が来る」とは十字架の死を指す。十字架は弟子たちには敗北に見
えた。しかし、信仰の目をもって見れば、そこに恵みがある。「子に栄光を顕わしてください」
とは、十字架に神の栄光を見ることができるようにしてくださいということである。
*「永遠の命」とは、キリストを知ること。知るとは信じること。つまり、キリストを信じて生
きることである。主イエスは教会のために執り成しておられる。後の教会のために、主イエスは
執り成すのである。この主イエスの祈りによって、今、教会は立っている。私たちもこの世にあ
って、キリストを証して生きるのである。それが教会が果たす使命である。邪悪な世にあって福
音を伝える意味がある。キリストは十字架で死んでくださったではないか。この主が大祭司とし
て私たちのために祈ってくださる。主は私たちを御自分のものとしてくださる。それは私たちを
宝としてくださったということである。

posted by nakamuracho at 13:47| Comment(0) | 礼拝記録

2022年05月22日

2022年5月22日主日礼拝

2022年5月22日復活節第6主日
<教会学校>
聖書   創世記3章1−10節
説教   「人間の罪」鹿村兄
出席   幼小3、中高2、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書16章16−24節
讃美歌  73、161、399
交読詩編 詩編96編
説教   「苦しみは喜びに」
出席   36名(子供1)
*礼拝後に教会ミニバザーを開催しました。
*今週25日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*今週28日(土)讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*主イエスは弟子たちに「しばらくすると、あなたがたはもう私を見なくなるが、またしばらく
すると、私を見るようになる」と言われた。弟子たちは何のことかわからなかった。主イエスは
御自分が十字架に掛けられて死を遂げるが、死を滅ぼし復活することを予告したのである。
*しかしそれだけではない。主イエスは苦しみと喜びという対称的な言葉を用いて、苦しみは喜び
に変わると語る。これは、弟子たちが主イエスを失い、悲嘆に暮れるが、やがて喜び変わると予告
したのである。ヨハネ福音書20章20節では、弟子たちが集まる家に復活の主が現れ、「弟子たちは
主を見て喜んだ」と記されている。弟子たちの苦しみが喜びに変わったことを証言している。
*苦しみが喜びに変わる。それは妊婦の苦しみにおいて説明される。妊婦の苦しみは産みの苦しみ
である。新しい命を授かる喜びに至るための苦しみである。この妊婦の苦しみこそ、今の苦しみで
ある。このように、あなたがたにも苦しみがある。しかし、その苦しみは喜びに変わる、と主は約
束してくださる。今、苦しくても、この苦しみはやがて喜びに変わる。主イエスが約束してくださっ
たこの言葉を信じて、希望を捨てずに歩もう。

posted by nakamuracho at 14:20| Comment(0) | 礼拝記録