2023年07月09日

2023年7月9日主日礼拝

2023年7月9日聖霊降臨節第7主日

<教会学校>
聖書  マタイ福音書1章18−25節
説教  「聖霊に拠りて宿り、処女マリアより生まれ」山下兄
出席  幼小5、中高2、父母4、教師7

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録20章7−12節
讃美歌  72、二編41、332
交読詩編 23編
説教   「生命の回復」小友聡牧師
出席   36名(子供0)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*今週12日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会があります。
*次週はガラテヤ書6章1−10節「キリストの心」、説教者は小友絹代牧師。
*小友聡牧師は13日〜24日まで、スイスの国際学会に参加のため、教務を
離れます。

<説教要旨>
*パウロはトロアスに滞在中、週の初めの日に教会の集いに出席した。ある家の3階が集会所
で、そこでパウロは長い説教をした。エウティコという若者が窓辺に座ってパウロの話を聞い
ていたが、眠りこけて下に落ちてしまった。パウロは下に降りて、抱きかかえるとエウティコ
は息を吹き返した、パウロはまた上に上がり、夜明けまで説教を続け、翌朝、出発した。
*伝道者パウロの伝道への情熱に驚かされる。パウロは教会の人々に語り続け、会衆はそれを
聞き漏らすまいと真剣に聴いた。トロアスの教会での生命の回復という出来事が中心のメッセ
ージだが、教会の礼拝が説教の言葉を聞くと言うことを大事にしていたことを教えられる。
*中村町教会の2代目の牧師、高崎毅先生が『基督教教育』の中で、プロテスタントの特徴を
こう書いている。「プロテスタント教会は説教すなわち御言葉の宣教をその中心に置いて、
御言葉への聴従をもってその保証と考えた。・・すなわち御言葉の説教は実質的には言語的礼
拝である。それゆえこの言語に堪える人間の形成がプロテスタントの教育性への動機となったの
である。しかし、このことは逆に言語に堪える人間のみが礼拝に参加しうることとなる。」
*高崎先生の言うことは鋭い。教会の礼拝は言語的礼拝であり、説教を聞く礼拝者の姿勢が大事
だとうことを改めて教わる。今日の御言葉で、エウティコは説教中に居眠りをして転落事故を起
こしたが、彼は生命を回復した。皆がそのことを喜び、皆が慰められた。礼拝において福音の
言葉を聞くということ。このことから私たちは生命の回復を与えられるのである。青年エウティ
コは説教者パウロから生命の回復を与えられたことを自らの証として歩んだに違いない。

posted by nakamuracho at 13:27| Comment(0) | 礼拝記録

2023年07月02日

2023年7月2日主日礼拝

2023年7月2日聖霊降臨節第6主日

<教会学校>
聖書  ヨハネ福音書1章14−18節
説教  「その独り子、我らの主イエス・キリスト」小友聡牧師
出席  幼小3、中高3、父母2、教師7

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録11章1−18節
讃美歌  70、240、513
交読詩編 22編25−32節
説教   「差別を越える教会」小友絹代牧師
出席   38名(子供0)(配餐33人)
*礼拝において聖餐式を執行しました。
*礼拝後に定例役員会がありました。
*次週は、使徒言行録20章7−12節「生命の回復」、説教者は小友聡牧師です。

<説教要旨>
*エルサレム教会への大迫害の後、各地に信徒たちは散らされていった。しかし、それがきっかけで
福音が人々に伝わることになった。ペトロがエルサレムに上って、エルサレム教会に報告したことも
この伝道の成果の一つであった。
*ペトロが報告したのは、予想もしなかった驚くべき報告である。ユダヤ人以外の異邦人がキチストの
福音を受け入れたということである。当時はユダヤ人キリスト者が中心であって、割礼を受けていない
異邦人が増えることを予想していなかった。特に旧約聖書の食物規定によって、教会では人々は異邦人
を差別していた。
*しかし、ペトロはコルネリウスとの出会いによって、神が人を分け隔てしないことを悟ったのである。
ペトロは教会の指導者として、それまで自らが狭い価値観で生きていたことに気づかされた。強い自分、
正しい自分に誇りを持っていた。しかしそのようなペトロが変えられたのである。
*ペトロは初めて福音が分かるようになったのである。イエス・キリストが十字架で死なれたのは、選ば
れた、正しいユダヤ人のためではない。すべての人々のために死なれたのである、ペトロはコルネリウス
との出会うによって、初めてこの福音の力を知ったのである。ペトロのように、福音の力に驚かせられな
がら生きること。これが私たちの信仰生活である。
posted by nakamuracho at 15:13| Comment(0) | 礼拝記録

2023年06月25日

2023年6月25日教会創立記念礼拝

2023年6月25日聖霊降臨節第5主日(創立記念礼拝)

<教会学校>
聖書  創世記1章1−5節
説教  「天地の造り主」関姉
出席  幼小4、中高1、父母4、教師8

<主日礼拝>
聖書   使徒言行録8章26−38節
讃美歌  67、225,502
交読詩編 46編
説教   「ガザに下る道を行け」小友聡牧師
出席   41名(子供1)
*次週は聖餐式を執行します。聖書は使徒言行録11章1−18節、説教者は小友絹代牧師
「差別を越える教会」。
*今週28日(水)午前10時半より聖書研究祈祷会があります。ヨブ記6章を学びます。

<説教要旨>
*フィリポが天使の言葉を聞き、伝道に派遣される物語である。思いがけず、途中でエ
チオピアの宦官に出会い、彼にキリストの福音を伝えると、彼は信じて、フィリポから
洗礼を受けるのである。
*フィリポの伝道の開始は、天使による派遣の言葉が発端である。「エルサレムからガザ
に下る道を行け。そこは寂しい道である」。この「寂しい道」は、荒れ果てた道、あるい
は「不毛な道」である。そこで福音を伝えよ、という命令。フィリポはその命令に従って
出て行くと、そこでエチオピアの宦官に出会い、不思議な出来事が起こったのである。
*この御言葉が中村町教会の設立、歴史に重なる。71年前に教会を設立した上田公子牧師
は、夫の上田丈夫牧師の死の直前に、開拓伝道の夢を与えられ、神学校に入って牧師にな
り、紆余曲折を経てこの地に教会を建てた。中村町教会は上田牧師の開拓伝道の志から始
まった。二代目の高崎毅牧師は、分裂した阿佐ヶ谷東教会から信徒たちと共に、壊滅状態
だった中村町教会に赴任した。「ガザに向かう道を行け。そこは寂しい道である」とは、
まさに高崎牧師が従った言葉である。その高崎牧師が急逝して、今年でちょうど50年であ
る。中村町教会はその後、佐藤敏夫牧師により安定を取り戻し、小友牧師夫妻が継承して
現在に至る。
*ガザに向かう道を行け。そこは寂しい道である。この御言葉が教会の歴史に重なる。荒れ
果て、不毛と見える道に中村町教会が設立され、代々の牧師たちと信徒たちが教会を担い、
荒れ野に泉が湧き、憩いの汀の教会という現在に至るのである。
*この御言葉は私たちの人生にもあてはまる。荒れ果てた道、不毛と見える道に私たちは遣
わされる。私たちの人生はそうである。にもかかわらず、その不毛に見える道においても不
思議な出会いがあり、思いがけない祝福がある。どん底のような、たとえ光が差さないよう
な道であっても、そこに主の御業が現れ、恵み溢れる道になるのである。先が見えないけれ
ども、不安だらけだけれど、ガザに向かう道を行こうではないか。必ず主が導いてくださる。
posted by nakamuracho at 14:46| Comment(0) | 礼拝記録