2022年04月03日

2022年4月3日主日礼拝

2022年4月3日受難節第5主日
<教会学校>
聖書  マルコ福音書15章21−32節
説教  「ゴルゴタの丘で十字架につけられる」小友聡牧師
出席  幼小2、中高1、父母1、教師8

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書10章32−45節
讃美歌  16, 376, 448
交読詩編 22編20−32節
説教   「主イエスの使命」
出席   34名(子供1)
*礼拝後に役員会がありました。
*イースターカードへの記名をお願いします。

<説教要旨>
*主イエスは弟子たちに三度目の受難予告をした。しかし、今回も弟子たちは理解できなかった。しかし、
主イエスは具体的なことを語られた。死刑判決と復活についても語られた。それにもかかわらず、弟子たちはは理解できなかったのである。
*弟子たちは主イエスに政治的メシアを期待していたゆえに、受難予告を理解できなかったのだ。ヤコブとヨハネは主イエスが栄子の座に就く時、その右と左に座らせてほしいと願った。二人は能天気で自信もあった。他の弟子たちは腹を立てたが、彼らも同じ。主イエスを理解していないのである。
*しかし、主は無理解な弟子たちを呼び寄せてくださった。主イエスの使命を果たすためには、上に立つ者は僕とならねばならない。主イエスは私たちのために身代金となられた。使命とは、命を使うこと。主イエスは私たちのために命を捧げて下さったのである。
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2022年03月27日

2022年3月27日主日礼拝

2022年3月27日受難節第4主日

<教会学校>
聖書   マルコ福音書15章1−15節
説教   「主イエス、ピラトから死刑判決を受ける」藤川姉
出席   幼小2、中高0、父母1、教師7

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書9章2−10節
讃美歌  15, 324,332
交読詩編 30編
説教   「キリストの変容」小友聡牧師
出席   32名(子供1)
*礼拝前に臨時役員会がありました。
*礼拝後に大掃除をしました。

<説教要旨>
*主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に上った。その山で主イエスの姿が変わり、真っ白に輝いた。するとモーセとエリヤが現れた。そして、雲の中から「これは私の愛する子、これに聞け」という声が聞こえた。主イエスの変容は、主イエスが神から遣わされた救い主であることを示すと同時に、これから苦難の道を歩み、十字架の死を遂げ、復活することを示したのである。ペトロたちはそれを理解できなかった。
*モーセとエリヤが現れたのは、旧約における神の救済計画が主イエスに置いて成就するということを証言している。しまし、モーセとエリヤは苦難を経験した人物であることが重要である。したがって、「これは私の愛する子、これに聞け」という信仰への促しにおいて、信じることが苦難と結びつくことが示唆される。パウロ曰く「あなたがたはキリストを信じるだけでなく、キリストのゆえに苦しむことも恵みとして与えられている(フォリピ1:29)。キリストを信じて歩んでも、苦難があり、無力感に襲われる。しかし、私たちが主を信じることにおいて苦しむことが含まれているのだ。主を信じて歩んで行こう。

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2022年03月20日

2022年3月20日主日礼拝

2022年3月20日受難節第3主日

<教会学校>
聖書  マルコ福音書14章66−72節
説教  「ペトロ、主イエスを知らないと言う」
出席  幼小3、中高1、父母2、教師8

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書8章27−33節
讃美歌  14, 336, 276,
交読詩編 31編10−25節
説教   「受難の予告」小友絹代牧師
出席   33名(子供1)
*礼拝後にバザー委員会がありました。今年11月3日の教会バザーは中止とし、5月20日(日)礼拝後に教会内ミニバザーを開催することになりました。
*今週23日(水)午前10:30より聖書研究祈祷会、26日(土)午後2:30より讃美歌カフェがあります。
*次週礼拝前10:00より臨時役員会をいたします。

<説教要旨>
*ペトロは信仰を告白した。それは、エルサレムではなく、フィリポ・カイザリヤという異教的な土地であった。我々も教会の中で主を告白するのではなく、それが受け入れられない場所で主を告白するのである。
*主イエス御自身がペトロに問い、答えを求めたことが重要。しかし、ペトロに対しそのことを誰にも話すなと主イエスは言われた。それは、信仰告白とは政治的メシアではなく、贖罪者キリストを信じることだからである。ペトロはまだそのことが分からなかった。だから、主イエスの受難を聞いて、主イエスを諫めたのである。ペトロは何もわかっていなかった。救いとは罪の赦しである。それは神の子キリストの死によってしかなされえない。なぜ主イエスは受難の道を歩むのか。その意味をペトロと同様、我々もまた知らねばならない。
posted by nakamuracho at 16:04| Comment(0) | 礼拝記録