2022年04月17日

2022年4月17日主日礼拝

2022年4月17日イースター礼拝
<教会学校>
聖書 マルコ福音書16章9−18節
説教 「主イエス、復活される」佐々木兄
出席 幼小4、中高2、父母2、教師9

<主日礼拝>
聖書   ヨハネ福音書20章11−18節
讃美歌  20、154、156
交読詩編 66編1−9節
説教  「キリストの復活」
出席   44名(子供1)
*礼拝において聖餐式を執行しました。
*礼拝後に記念撮影をしました。
*次週礼拝後に教会総会をします。
*今週23日(土)午後2:30−4:00に讃美歌カフェがあります。

<説教要旨>
*主イエスの復活の朝、マグダラのマリヤは主イエスの墓に向かった。しかし、彼女は悲嘆に暮れていた。
マリヤは主イエスに従う女性であったが、彼女が探しているのは死体となった主イエスであった。それは、つまり十字架で終わる信仰の限界である。
*しかし、主イエスは生きておられる。死を滅ぼし、復活された。主イエスはマリヤの名を呼んでくださる。絶望の朝が希望の朝になった。主イエスは生きている。だからもう泣く必要はないのだ。キリストは今、生きておられる。マリヤにとって日曜日は復活の朝である。復活の主に出会う者はこのことを人々に伝えずにはおかない。
posted by nakamuracho at 14:23| Comment(0) | 礼拝記録

2022年04月10日

2022年4月10日主日礼拝

2022年4月10日受難節第6主日
<教会学校>
聖書   マルコ福音書15章33−41節
説教   「主イエス、息を引き取られる」関姉
出席   幼小3、中高4、父母2、教師8

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書14章32−42節
讃美歌  54、133、二編182
交読詩編 118編19−29節
説教   「十字架への道」小友聡牧師
出席   37名(子供1)
*礼拝後に教会学校教師会がありました。
*礼拝後に有志で教会墓地へ墓参をしました。
*13日(水)午前10時半より聖書研究祈祷会、15(金)午後3時より受難週祈祷会、
16日(土)午後1時半よりイースターエッグ作り、があります。
*24日(日)礼拝後に教会総会をいたします。

<説教要旨>
*主イエスは3年於弟子を連れ、ゲツセマネで祈りました。弟子たちには、目を覚まして待っていなさいと伝えたのに、弟子たちは目を覚ましていることができませんでした。このあと、主イエスは引き渡され、十字架に掛けられることになります。
*不甲斐ない弟子たちです。けれども、その不甲斐ない弟子たちと主イエスは最後まで共におり、寄り添うことを願われました。不甲斐ない弟子たちを主イエスは見捨てることはなさいませんでした。ここに慰めがあります。
*十字架で死を遂げるキリスト。そこには希望も慰めもないかに見えます。今の私たちの世界の現実がそうであるかも知れません。しかし、私たちは希望を捨てません。「土曜日のキリスト」という言葉があります。土曜日のキリストは墓の中で死んでいるキリストです。そこは真っ暗で、光はなく、絶望しかありません。けれども、土曜日のキリストは、翌日、復活の日が来ることを指差しています。私たちも同じです。今、光が見えなくても、その闇の向こうに朝がやって来ることを信じて歩みます。




posted by nakamuracho at 19:12| Comment(0) | 礼拝記録

2022年04月03日

2022年4月3日主日礼拝

2022年4月3日受難節第5主日
<教会学校>
聖書  マルコ福音書15章21−32節
説教  「ゴルゴタの丘で十字架につけられる」小友聡牧師
出席  幼小2、中高1、父母1、教師8

<主日礼拝>
聖書   マルコ福音書10章32−45節
讃美歌  16, 376, 448
交読詩編 22編20−32節
説教   「主イエスの使命」
出席   34名(子供1)
*礼拝後に役員会がありました。
*イースターカードへの記名をお願いします。

<説教要旨>
*主イエスは弟子たちに三度目の受難予告をした。しかし、今回も弟子たちは理解できなかった。しかし、
主イエスは具体的なことを語られた。死刑判決と復活についても語られた。それにもかかわらず、弟子たちはは理解できなかったのである。
*弟子たちは主イエスに政治的メシアを期待していたゆえに、受難予告を理解できなかったのだ。ヤコブとヨハネは主イエスが栄子の座に就く時、その右と左に座らせてほしいと願った。二人は能天気で自信もあった。他の弟子たちは腹を立てたが、彼らも同じ。主イエスを理解していないのである。
*しかし、主は無理解な弟子たちを呼び寄せてくださった。主イエスの使命を果たすためには、上に立つ者は僕とならねばならない。主イエスは私たちのために身代金となられた。使命とは、命を使うこと。主イエスは私たちのために命を捧げて下さったのである。
posted by nakamuracho at 14:10| Comment(0) | 礼拝記録